2011年12月31日土曜日

うっかり大晦日

今年の12月は例年以上にイヴェント盛りだくつゆだくで、そのわりには更新ができていないってどゆこと?
二階堂和美さんのクアトロLIVEもホントに素晴らしく、初めてニカさんの表現する姿を観たのにあんな最高なステージなんて!って感じです。想いがよみがえってきた。やはり後日書こう。

今冬のスクーリングも無事終了。単位…大丈夫かなー。ほかの通信生もたくさんいて、それでも僕は引っ込み思案なので多くの言葉を交わしてないけど、勉強への石炭をたくさんもらったり感じたりしました。

大掃除。まー、普段から溜め込まなければ「大掃除」にはならないんだよね?まだほとんど終わっちゃいませんが。。。台所を簡単にやって、新年会の準備もしつつ、レポートの下書きを見直しつつ、年越しそばを食べつつしてたら除夜の鐘だろな。

世界はいろいろあったけど、今年は大きなけがもなく、家族も健康で新年を迎えることができるのが何より。
来年もありがとうをいっぱいいえる一年になりますように。

2011年12月9日金曜日

最高の音

12月8日、YUKI LIVE 『MEGAPHONIC』2011に行ってきましたー。

いろいろあった。その、いろいろを受けて発表されたアルバム『MEGAPHONIC』のツアー。YUKIも特別な想いがあったはずだし、少なからずそれはアルバムから感じていた。
会場は代々木体育館。なんかね、いつもとは違う、武道館で感じるような空気ではないな、とも思ったり。
照明が落ちる。いつものように映像による演出がありスポットが照らした花道の先端にYUKIがいた。びっくりした(笑)

YUKI、飛ばしてるなぁと感じたんだ。んー、ギアがきちんと入ってないというか、アクセルは踏んでるけどニュートラル、いや、むしろいきなりトップギアだったような、気持ちと身体のバランスがズレてるみたいに。うん、でもそれくらいに身体は素直に反応してる結果ではないだろうか。抑えきれないほとばしりのような勢いを感じた。

いつもよりMCが少なかったかなぁ。
「言わなくてもわかるよね」と、無言でうったえてるようだ。だからずーっと唄ってた。

「愛しあってるかーーい?ベイビー!」

YUKIは叫んだ。このシャウトからぐっときた。なぜなら清志郎さんの代名詞ともいえるシャウトだからだ。

YUKIはあれから清志郎さんのことをあまり語ってこなかったと思う(僕が知らないだけかな)。
だから、うれ抱きツアーでみせたマントショーに驚いた。これは清志郎さんへのメッセージだと解釈した。
そして、このシャウト。なんだかそれまで、清志郎さんに対する想いをことばや体でどう表現していいかわからなかったのが、ようやく自分なりの答えのようなものが出たみたいだった。

「愛しあってるかーーい!?」

YUKIは二回叫んだ。
「今なら彼の、最高のKING OF ROCK 忌野清志郎さんの言ってることがよくわかる。人は誰かのためになりたい、優しくなりたいと思って努力する。それにきづいてからは…」と続いた。僕は胸がつまった。

YUKIのLIVEは、いつもたっぷりの愛で会場が満たされる。でも、今回は今までよりももっと大きく、深い愛を感じたんだ。優しくて、あったかい愛を。

今回のLIVEは30代最後のツアーだと言ってた。そして、来年ソロ10周年を迎えるとも。ひとつの終わりであり、始まりを迎えるツアーだったんだ。参加できてよかった。

この愛あふれる時間を知らない人はYUKI LIVEに行ったほうが良い。だってとても素晴らしいんだもの。

最高の音をありがとう!

2011年12月4日日曜日

サイクリングがてら

代々木上原のギャラリーでやってる『佐野洋子展』に行ってきました。

まぁ、言わずもがなでしょう。『100万回生きた猫』のかたです。

会期中、テーマを4〜5日で替えて展示内容を入れ替え。今回は猫がテーマ。佐野さんのライフワークともいえるモチーフでしょう。

猫がね、いいんですよ。表情が。生き生きしとります。擬人化してる猫、そのまんまの猫、どら猫、紳士、おしゃまさん、いろいろいました。未発表の作品もあったようです。ぬくぬくな気持ちになれました。

Twitterのフォロワさんが教えてくれたんです。有難い、あたたかいつながりです。ありがとう。

で、本を買いました。Amazonでも中古でもなく。こういうところでは、手から手で買いたくなります。

2011年11月23日水曜日

砂で描く

「描く」って「かく」じゃなく「えがく」が正しいんですよね?でも「かく」って言ってしまうし、「かく」で変換登録してるし。
このあいだ、砂アニメのワークショップに行ってきました。
砂の場合は、画面に砂を置く、もしくは盛るところから始まる。パフォーマンスはなくアニメなのでコマ撮り。紙でいうと、全部がAセルで描き送り。いったん砂に触ると後戻りできない。もう、これがめんどくさい(笑)
というか、紙は便利で楽だわ。消せるし別セルにできるし引けるし。
とまー、頭にラフ原とシートをおいて砂をメタモルフォーゼ。画面構成が大事だねぇ。行き当たりばったりで動かしてしまったので苦労した部分がある。途中で考えて手が止まるとだめだね。どこを動かしたか忘れてしまう。
ワークショップは全三回。残り二回で5秒ほどのアニメを作るそうだ。
どうなることやら。
ちなみに、この絵は真ん中あたり。最初は丸からはじまり(目の部分)、そのまわりから太陽のコロナのようにエフェクトが広がり写真の絵に。そのあとは口をあけて光線を放ち、かけて終了時間となりました。

2011年11月8日火曜日

意外と

これが入ってたりあれが入ってなかったりなランキング。↓

英誌選出「史上最高のアニメ映画50本」|NEWS - フィガロジャポンオフィシャルサイト madameFIGARO.jp
http://news.madamefigaro.jp/culture/total-film50.html

いえね、火垂るの墓が結構な位置にいたり、マクロスや幻魔大戦がないんだね、と驚いたりしたわけです。まぁ、あと20作品が紹介されてないので、そっちにあるかもしれんのですけど。

しかし、AKIRAはすごいね。しかも手描きアニメだからなぁ。
もし20年後にこのランキングやったら新劇ヱヴァとか入るかな。

2011年10月23日日曜日

なんとなく

絵を描いてみたくなり、物置と化していた動画机を整理する。ライトも買いました。
んー、のちのちどうなるかはわからんけど、このガラスの上で砂アニメをやるかも。ソフトは来月から通う教室で、カメラは中古で買う予定。そのための下準備ともいえますかね。
まぁ、あくまでも予定は未定ですが(苦笑)



2011年10月17日月曜日

結局

4Sになりました。

2011年10月11日火曜日

いやはや

すっかり書かなくなりましたなぁ。
いろいろ出かけてはおるんですが、レポートが気になって気になって。そのくせほとんど進んでいないのが大問題なんだが。
フレデリック・バック展のあと、緑子という自主アニメをアップリンクファクトリーまで観に行く。
恵比寿ガーデンプレイス内の写真美術館で、マイブリッジの糸を観る。こちらも自主アニメ。山村浩二さん。
で、あと、、、んーー、、、(脳内HDDがフリーズ中)あ!横浜までキャロライン・リーフさんの講演を見に行ったんだった!このかたはサンドアート、もしくはサンドアニメのレジェンド級の人です。奇跡の来日といえる。
こんな状態の日本によく来てくださったわ。企画した東京藝大もえらい。

アニメから離れて、この9月10月はむちゃくちゃアニメが近くにある。

2011年10月5日水曜日

フレデリック・バック展

今の今までフレデリック・バックという人にはあまりふれてこなかった。アニメーターだったけど、自主アニメのイベントなんかもよく行ってたけど、観てこなかった。そんなぼくが観にいきました。
終始圧倒されっぱなしだった。会場構成は生い立ちから現在までを、まるで人生の年表をみるような感じ(ん?たいがいこんな構成かな?)。なので、はたちそこそこのスケッチ…鉛筆、グァッシュ、インク、墨汁によるスケッチが最初に多く並ぶ。
しかし、その頃の学生時代に描いてる量がはんぱない。風景スケッチは自転車で出かけて目に留まったらサラサラ描いてる、かなり手が速い、そんな印象を受けた。そして質。ぼくはスケッチはあまり経験ないけど、おそらく小一時間くらいで描きあげてるかと。それに見合わぬ画面の密度と構成力たるや。グァッシュとはいえ、下書きなんかほとんどしていないと思う。
目の前に広がるパノラマを見て、どこを切り取り何を見せたいのか瞬時に判断すること、迷いのない構図と色使いに息をのみまくりだった。このスピードと描写力が後々のアニメートのためのチカラにつながるのね。

会場はセル原画もおしみなく展示。ぼくが持ってるタップでも、このセルを重ねることができる!ユニバーサルなタップすげーと思ったw
フレデリックさんは下タップだった!海外の人は下タップが多いような。描きにくくないんだろうか。
今までの短編アニメも含め、場面によってはCセルくらいまであるように見えた。
しかしセル(アセテートフィルム)に直接描き込む、しかも送り描きで手が早いってすごいわ。
んー、なんかねー、動かしたくなりました。

2011年9月19日月曜日

付き合って10年

思えば日韓ワールドカップの年からの付き合いになる。大切な存在。でも、今まで目をかけてあげることもせず。。。
雨の日も風の日も雪の日も連れ回し、濡れても汚れてもねぎらいの言葉もかけなかったよ。

きのうタイヤとブレーキシューを替えた。タイヤを外すついでに真っ黒になったチェーンやプーリー一式クリーニング。油とホコリと砂が固まって石のようになったものがボロボロ落ちてくる。。oO(ごめんね〜

こないだ、グリップシフトを交換してもらいにサイクルショップへ行った。
「気になるところが…。ハンドルとリムのベアリングなんですけど、音がするんでグリスアップしたほうがいいかもです。あと、消耗品がのきなみヘタってるので…」
「10年乗ってますから。オーバーホールしたほうがいいってことですか?」
「そうですね。ただ、3万でおさまるかどうか」
「それじゃあ買い替えも視野に入れる感じすか?」
「まだ乗るんなら一度全部みて、じゃなかったら新車買える金額ですからね〜…」

こんなやりとりをして僕は気づいたんだ。大事に乗ってる"つもり"だったってことに。

この自転車はもう絶版車。部品も製造してないので、問屋に在庫がなくなれば純正パーツは手に入らない。ただ、BDー1がきょうだいなので流用はきく。でも、彼は18インチ。この自転車、コリブリくんは16インチ。いろいろむつかしい。

で、今日。
現場は吉祥寺のBOOKSルー・エさん。仕事をしていると
「お!元気か!」と店長。「あとで自転車にワックスかけといてやるよ」「あ、ありがとうございます(笑)」
以前働いていたので、今でもなんやかやよくしてくれる(笑)ありがたいね。
仕事も終わる段取りにはいり、親方が車を取りに行ってるとき、「ピカピカになった!見てみろ」と店長。いや、これがマジでツルツルピカピカで。
「うっわー!すごー。ありがとうございます!」
と言いながら、きのう大体とはいえ汚れを落としといてよかったぁと胸をなでおろしたわ。恥ずかしい想いをするとこだったよ。

偶然にも今朝写真撮ってた。あいほんレベルの写真だけど、比べてもわかるぐらいにツヤがあるのわかる?そう、プレステのゲーム『グランツーリスモ』の洗車前と後のような感じで(笑)

ホント大事に乗る。これからもよろしくコリブリくん。

てか、やっぱわからんね(苦笑)

2011年9月16日金曜日

板チョコ、ブロックチョコ

おうちのパソ…ももちゃんはノートなので、キーは板チョコみたくうっすい。図書館や学校でブロックチョコみたいなキーボードをさわるとすんごいタイピングしにくい。5ミリほど押し込まないといけない操作がわずらわしい。
Enterキーを力いっぱい叩く人がいるけど、なぜEnterキーだけバシンとやるのかは、キーの大きさによるかもしれない。でも、やる人はノートでもやるかな。

2011年9月10日土曜日

一日目の試験おしまい

やるだけのことはやりました。(゚ー゚*)。oO(二回目やからやれないとやゔぁい)

今日は同期の子とたくさんしゃべれた。その会話で目が覚めました。おはようございます!
あ、いや茶化すつもりはないんですが、自分の計画性のなさに驚いたわけで。通信やから計画性、ここが一番大事でしょ?ぼくはレポートひとつとっても気ままにやり過ぎだわ。マインドマップじゃないけど、今後5年のスケジュールをたてようと思う。思った。

2011年9月9日金曜日

学校も人生も後期生

 いつもお世話になってるサロンの方が、占いを勉強なさっていて、以前カバラ数秘術でこれからの時間の流れをみてもらったんです。
 それによると、僕は10月に1年がスタートするようです。
ふむ、いろいろ思い当たります。

 で、今年も9月末から何やら動きがありそうな予感が。新しく何かが始まる瞬間は楽しいねぇ。

2011年9月6日火曜日

史上最長

 といっても自分史上ですけど、もういつから休んでるかわからないくらいに仕事がナインティナイン(苦笑)。
まる2週間は過ぎた(と思う)。こんなに仕事が無いのは初めてだ。いよいよこの仕事やばいな(笑)。

 まー、レポート作業は牛歩ですがやってます。今週末は試験だし、その時間も充当できるからいいんだけど。

 で、きのう気づいたこと。
8月はスクーリングに行く予定でした。申し込み忘れたのは以前書きましたが、参加してれば3週間仕事を休むことになる。
んで、今の休みは8月末から始まってるから、学校に行ってれば、約ひと月休んだことになってた。収入ほぼ0じゃん。あっぶねーよ。

 8月に働くことになったのは、今の9月のことがあるから働かせてくれたのかなぁ、なんて思った。
もっと何年も先で意味がわかるのかなと思ってたのに、こんなに直近のことだったなんて。

 おぼろげに15日まで休みになりそうな雰囲気。こんな風に考えると休みを引き寄せちゃうんだろうけどね。
10月は授業料払わないといけないしなぁ。
ふぅ。あ、ため息ついてもた。

2011年8月29日月曜日

ニュースが知りたい

 決して地デジ難民でテレビが観れないことを嘆いているわけではありません(苦笑)

 今、白いものは「白い」と伝える。色を変えたり隠したりあとからわかる(漏れる)んじゃなく。
この日本語訳は個人で作成した模様。ありがたいです。

ドイツZDF-Frontal21 福島原発事故、その後(日本語字幕)

2011年8月24日水曜日

特別なアレはないけれど

 島田紳助引退。

 最近はテレビでのプロデュース活動も順風満帆といったところで、そのせいか杭が出てしまったので打つような意見を持ってる人も多いようだ。まー、ぼくはそんなにバラエティーは観ないほうなので、周りが感じるほどの想いはもっていない。
大阪の番組のイメージで止まってるといってもいいかな。

 紳助もそうやし鶴瓶もさんまも大阪の芸人は相手(とくに素人)の魅力を引き出しつつ、自分もそれ以上におもしろく演出する術をもっている。たけしやタモリ(あえて)はその辺がなく、自分がおもしろければそれでいいと感じる。まー、この辺は西と東の笑い(エンターテインメント)の考え方の違いになるかと。

 引退会見に名前がでた上岡龍太郎。この人の凄さにもっと早く気づきたかった。10代20代にわからんかった自分はアホやったなーと思うし、もったいないことをしたなーと。この人の喋りも、もう生では観れんからなぁ。
ただ、大阪で生まれ育ったことで、わずかでもこの人の番組を観ることができたのは、関東の人に比べるとなんて幸せなことよなぁと思う。

上岡龍太郎 第5回 芸人論


 この番組はなんだろ。素晴らしい10分だ。しかも全国の人が観れる。いい時代でもある。

2011年8月22日月曜日

で、その会場で

 あらたな出逢いがあった。

 写真つきで「ルパン展にきた」と、ついっとした。それにレスがきた。割と長く相互フォローの関係にある漫画家さんから。

 「あ、今日までだった。今から行こうかな。会場にはまだいますか?」

 これは「逢おう」ということだね。@で言葉を交わしてて僕も興味があったので「まだまだいますよ」と返す。
 少しして到着時間とカバンの色、メガネの情報を伝えて出かけたようだ。その人は先日あいほんが壊れて端末はもっていない。え!?こちらの情報伝えてないし、それだけ!?あえたら奇跡、と結んでいる。そらそーだよ!

 こっちはその時間帯で入ってきたところを捕まえないと絶対探せない自信がある(笑)少し入り口付近で張り込んでいたら「はっ」っとした。だってアイコンの似顔絵にそっくりだったんだもの。カバンの色は電飾の光でよくわからん(笑)いや、しかしこの人じゃない可能性もある。蛍光灯のスペースにくるまでこの人を覚えつつ他の人も注視。
んー、カバンの色はこれぽい。どうしよ。声かけるの緊張すんなー。人違いかなー。うわー。と悶絶するもこの場所を逃したら後が無い!

「あのぉ。人違いだったらすみません。〇〇さんですか?」
「あ!〇〇さん?」
「はい」
「うわーすごい!」

てなやりとりがあって、無事逢えた。はー、緊張したー。

 そのあとドトールでお茶したんだけど、ここでもサプライズが。

 ぼくはネットでの出逢いって信用してこなかった。距離というか、すべてが見えないし作られた個人かもしれないから。
 でも、ツイッターってその垣根があまり感じられない。そして、言葉を交わしていくごとにプロフなんかで見えなかった共通点がぼろぼろでてくることがある。今回もそう。お互いに「今」のことしか知らない。出身地すらぼんやり。
 過去の職歴なんかに話がおよぶ。
「ぼくはインテリアデザイナーみたいなこともしてたんですよ。図面書いたり」
「あ、あたしもそれに近い仕事をしてました。京都に〇〇と〇〇って会社があって、その下請けの…」
「ぼく、その〇〇にいました」

 もうね、二人とも「ええええ~!?」だった(笑)「絶対どっかの現場ですれ違ってる」って言いながら(笑)

 人との縁やつながりはホント不思議。袖擦れ合うも多少の縁とはいうけど、文字が擦れ合ったことにも言えるんだなぁ。縁を感じるし実際つながったし、また、月曜日締め切りの仕事があったと言っていたので、月曜じゃ逢えなかったとも思う。

 点と点がつながる瞬間は神様のいたずらと思えてしかたがない。

 楽しい時間だった。

松屋銀座に怪盗現る

アメ村や吉祥寺にはとけ込む服装で銀座をうろつくのは勇気がいるね。借りてきた猫状態っす。もしくは海に放たれたメダカのような息苦しさ(笑)
会場は階上の催事場。
激混み。
日曜だから仕方がない。
目当ては原画です。生の。
規模の大小はあれど、こういうアニメのイヴェントで生の原画が展示されるのはいいことだ。えんぴつの線は大事。
なかでも大塚さんのファーストルパンのキャラ表がもうね、語ってる。40年前の線とは思えない。キャラの目が生きてるんだよなぁ。すごいなぁ。
展示物は紙ものはセル画、設定、ポスター。原作者であるモンキー・パンチさんの生原稿。映像は、パイロット版アニメ、編集された様々なルパンのもの。セル画は軒並み動画だった(と思う)。ファーストルパンのセル画はカーボンがもう退色しちゃって。。。でもデジタルよりは絶対いいっしょ!?
客層は若く、親子連れも多かった。ほとんどの人がL/Oや原画には興味ないなか、食い入るように見てましたとさ(他、一部の人)。絵コンテを見て「セリフも書いてあるんだ」と驚く声を小耳にはさみつつ画面を想像する。まー、みんな知らないよね。当然だ。
漫画の原稿も素晴らしく迫力満点。いやぁ描き込んでる。トーンがないんだもん。すべてタッチで表現。それで週刊ペースって。。。
今回の展示で印象に残ったのは、芝山さんや平山さん、出崎さんの寄稿イラストがよかったなぁ。
なかでも一番素晴らしかったのは、今年の4月に描かれた大塚さんと原作者のイラスト(ルパン、次元、五エ門、不二子、銭形)。大塚さんはキャラ表見てないと思うけど、いい表情だったー。特に銭形が今までにないデザインに消化されていた。次はこの顔立ちでやって欲しいわ(笑)
モンキー・パンチさんもシャープな線だった。お二人とも年齢を感じさせないものを描かれている。画面から力がほとばしっていた。

行ってよかった。

2011年8月14日日曜日

お盆といっても

 うちは色々な大人の事情で墓参りをしておりません。
まー、ぼくもいい大人なのでその辺を詮索したりしないので闇のままです。

 8月に入っての暑さと仕事のハードさと親方への心労で、心身ともにグンニャリな毎日。今日はいつぶり?ってぐらいに10時に起きる。掃除洗濯で午前中終了。で、気がつけば13時半とか。16時になってようやくレポートの下書きをしにノーパソかついで近所のカフェへ。(WI-FIじゃ無いから強制的にネット圏外ってことす)

 え?もう23時やん。あしたは出かけるんでまもなく寝ますよ。
なーんもしてない、というか意識に残らない一日。最近多いな。時間のもったいないお化けが出ますって。

2011年8月6日土曜日

ちょっと意識になかった

 地元も防災無線で黙祷をアナウンスしてたんだ。三鷹にも平和の像あるもんね。

 戦争を体験した人、原爆を体験した人の口は重く固い。それほど悲惨で地獄絵図だったんだろう。
ドキュメンタリーや諸外国のカメラマンが撮った写真や映像でみても、悲しみや惨めさは推測するしかない。
しかし、伝えていかねばならないこと。
 この国のお偉い人たちは、このことを風化させたいんじゃないか?と、ずいぶん前から感じている。
 忘れちゃだめだ。 

 いま、原理は爆弾と同じものが同じ日本で大変なことになっている。
 うそ、ウソ、嘘ばかりの情報。
 「ただちに影響はない」間違っちゃあいない。が、この言葉は未来をみていない。

 原子爆弾の放射能も、原発の放射線もじわじわ身体を蝕んでいく。

 今年は今までとは違う想いで今日の日を迎えた。
 
 ザ・タイマーズ / long time ago


この映像は1989年の広島ピースコンサートの模様らしい。
 このときからも22年が経ってしまったが、ようやくファッションではなく、本当のメッセージが伝わる時代になった、否、なってしまった。

2011年7月29日金曜日

半年間の成果

こないだの日曜日、ピアノの発表会がありました。

ちょっと回想。
夏のスクーリングにあわせて通い始めたピアノ教室の先生と、もうひとつ別の教室が、ほぼ毎年合同で開催しているそうな。まぁ、他の生徒さんはピアノマン、あ、ピアニストか、を目指してると思うのですよ。そのなかで僕は試験のためだけに通ってる、言わば通りすがりのようなポジション。なので、先生も最初から「飛び入りで参加してみませんか?いい経験になると想いますよ」と声をかけてくれたのです。
今後、子どもたちの前で弾くかもしれない予行演習みたいな感じになるかなぁ、それに使用するピアノがベッヒシュタインだとか。このピアノに触る機会なんてそうそうないだろうし、即OKしたのでした。その話が4月くらいだったかなぁ。そこからはバイエルだけでなく、課題曲にしたショパンの雨だれ(NHKテキストの編曲)を中心にレッスン。
なんとか暗譜もでき、先生も納得できるぐらいに最後まで弾けるようになった。

当日。
ひとりドタキャンで不参加があり、下は幼稚園?くらいから上は僕と同年代のセミプロの方まで、生徒総勢7名と先生がたの演奏。
天井が高いフロア。ステージがないのが、より緊張しなかったかも。
発表会前にリハーサルとはいえない5分くらい鍵盤を触る時間。そこで感触や椅子の高さを確かめる。僕は5番目。あっという間に順番がきた。腕、指が固い。ほぐせない。やるだけのことはやった。はじめの音を出すまでがこわかった。
14小節あたりでつっかえた。ここはなんなく弾けるはずだった。先生も後半を心配していたぐらい。もうね、何回弾き直してもだめ。指と鍵盤をみる。楽譜は目の前にある。でも見ない。みたら音符がたくさん目に飛び込んできて、余計に焦ると思ったから。6〜7回そこを弾きなおしただろうか。なんとか進めた。ここから記憶は断片的でよく覚えていない。前日まで、この部分は溜めようとか、強弱を心がけようとか考えてたのが、ぜーんぶ飛んだ(笑)
まーね、それでも始まれば終わるもんで、最後の音を出して、起立して一礼。
小学生たちも小さい手でよく弾けてたし、セミプロの人もすんごいグルーヴが出てた。

会場のセッティングも自分たちでやるので、イスを片付けたあとぼーっとしてたら、1人のお母さんが喋りかけてきてくれた。短期間であそこまで弾けるのは凄いって言ってくれた。いえいえ、まだまだです、なーんて謙遜なんかしませんよ。ありがとうございます。
お母さんとしゃべってたら、今日弾いた女の子の妹かな?がかけて来て、「あげる」と薔薇の花をくれた。びっくりした。男は僕だけだったから珍しかったのかなぁ。女性からお花をもらうのは初めてだったから嬉しかったー。

今日、当日の演奏を録音したやつを聴いた。今日まで聴けなかった。いやぁ、ひどい(笑)。つっかえまくってる。今聴いても変な汗がでたわ。
でも、いい時間だったなー。貴重な経験をさせてもらった。こんどはちゃんとやりたいね。んん?今度?(笑)

そんなピアノ教室も今日でひとまず最後。お世話になりました。たとえ10分でも毎日弾くようにします。ありがとうございました。

2011年7月25日月曜日

ふむ

芦田豊雄さんが亡くなった。
なんだかこの2〜3年、特に今年もアニメ界の偉人とも言える先駆者が天に召される。
アニメの神様は一体どんだけの豪華スタッフを集めてどれほどの作品を作らせようとしているのか。
観たいじゃないか!とゆーか、地上で作らせようとしてくれないか。

【7月27日 追記】
芦田さん、というかスタジオライブがらみで思い出したのは、大阪でグランゾートのOPの動画をした。
「もっと早く描け」とチェッカーに怒られましたわ。しかし、その仕事は会社に内緒でとったバイト。
あなたたち3人が手におえないからといって、こっちにヘルプを頼んでんだろ?とは言えませんでしたが。

あとにも先にもこの動画がライブと接点がもてたっていうのが今では素敵な思い出。

魔動王グランゾート OP


ん?今観たら描いた記憶にある剣を地面から引き抜くカットがないなー。BANKだったのか?
今となってはわからんなぁ(笑)

2011年7月16日土曜日

およそ1年前かな

 この映画のタイトルを聴いたのは。
観にいきたいなぁと思いながらそのままに忘却のかなたへ。

映画「ミツバチの羽音と地球の回転」予告編HD

 この映画は3.11以前に作られているけど、今、進行しつつある問題の作品。
瀬戸内に原発予定地があったなんて。

 8月にまた渋谷での上映が決まったので、今度はちゃんと行こう。

2011年7月7日木曜日

七夕ですな

 【卒業できますように(3年で)】

 こんなとこでしょか。といいながらも8月のスクーリングの申し込みを忘れてしまったので、かなり危ういと感じてますのでお願いしてみましたとさ。やれやれ。

 まー、卒業に欠かせないものは自分のやる気だけのような気もするけど。

2011年7月3日日曜日

こりない男だよ

 またやらかした。
今夏のスクーリングを申し込むのを忘れてしまった。

 ちゃらんぽらんな性格になってしもた。アニメーターのころはもうちょいましに段取り組めてたと想うんだが(=ω=`)情けない。。。
この遅れは取り戻せるんだろうか。3年での卒業ができなくなったんじゃないだろうか。
何のためにピアノのレッスンも受けてんだよ。8月にスクーリングがあるからだろ?
 もうだめだ。

 ほんとひどい。

2011年6月26日日曜日

うーむ

 原発関連はウソもホントもネガティヴもポジティヴもあふれてる。
だから取捨選択しなくてはいけない。でもそれは難しい。
 こっちは真実だけを知りたいのに、政府自体が隠蔽体質だし、そのくせ線量の上限を勝手に引き上げてるし。

 で、『ガンダーセン氏の被曝から逃げるためのアドバイス』を読んだ。全部読んだ。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-608.html

 「逃げろ」というのは簡単だ。でもなぁ、現実はすたこらさっさーとなんもかんもほっぽりだして脱出なんてできない。
 みんな同じ地球の上で暮らしてる。極端に言えば逃げ場所なんて無いとも言えるんじゃないか?
 一番こわいのは冷静さを失うことであり、それによってもたらされる負の力。

 嘘、偽り、隠蔽は何も意味をなさないし生み出さないと感じる。

2011年6月21日火曜日

つながっていた

 否。つなげてくれた。

 あの子の気持ちにも感謝だし、神様が「今度はちゃんとせーよ。見誤んなよ」とチャンスを用意してくれたみたい。なんて都合のいいように解釈すんのもいいよね。

 ありがとう。

2011年6月20日月曜日

この状況を

 いや、こんな状況で生き延びた人がいるし、命を落とした人がいる。

 ようつべさんでは削除されてしまったが、別のところに残ってたのでupしようと思った。

http://www.liveleak.com/view?i=cdc_1308103042

 

2011年6月6日月曜日

【失せ物】

恋。
先月は楽しかったなぁ。あんなにときめいたのは久しぶりだったわ。
ま、縁がなかったってことなんだろーか。ちょっとはお返事期待してるけど、日にちが経つにつれその気持ちはしぼんでいく。。。
マスターに涙わすれるカクテル作ってもらったり、
ミッドナイトDJに最後のリクエストしたりはしません。

でもこの曲をどうぞ。
もう恋なんてしない 槇原敬之

最後は「もう恋なんてしないなんて、言わないよ絶対」とか言ってるけど、おっさんになるといろいろしんどくなるからなー。もう恋はしたくないっておもてまうー。

こっちから手放したので、ただただ、残念だったなぁという気持ち。

2011年5月29日日曜日

VF-1Jもくるか!?www

『スターウォーズなどにインスパイアされたホンダのかっこよすぎるチョッパーバイク「Honda Chopper」 - GIGAZINE』

記事では明言を避けてるように見えるが、金田バイクのテイストもはいってるだろーw
んー、でも今の時代、金田バイクのチョッパーでなくてもいいけど、ビッグスクーターのような座るタイプでもいいような。金田バイクもそうなってるもんね。大友さんすげーなー。

2011年5月26日木曜日

大切なことだから

 もう一度きちんと貼っておこう。


Ferenc Cako the sand artist at SICAF.

Kseniya Simonova - Sand Animation (Україна має талант / Ukraine's Got Ta...


フェレンク・カーコさんとキャロライン・リーフさんのDVDが欲しいね~

2011年5月22日日曜日

今の心境は

 だいたいこんな感じ。



 いきおいで突っ走れるほどもう若くはない。

2011年5月15日日曜日

ヘンリー・ダーガー展

 ヘンリー・ダーガー。
この人は精神障害があるとかでアウトサイダーアートとか言われてるようだが、絵を描いてる(趣味ではない)人にインサイドもアウトサイドない。しいて言うならばワイルドサイドではないか。絵を生業としてる、没後認められるなど境遇は様々だが、絵を描かずにはいられない、抑えきれない衝動や、ほとばしる魂の力が未開の天地を拓き、高みに到達できる。その画面からにじみ出る生き様が観るものを魅了するんだと思う。ヘンリー・ダーガーさんの永遠のテーマは女の子、しかも幼女と言い切ってもいいだろう。かわいい女の子が描きたくてたまらなかったのだろう。もっと言えば、描くことによって、わが手中におさめたかったのしれない。コレクションや奴隷のように。

 ダーガーの世界を観ていて、頭にうかんだ作家がいる。田中達之さん、楳図かずおさん、諸星大二郎さん、草間彌生さんである。アーティストやクリエイターに誰それに似てるなんていうのは失礼極まりないけど、おそらく視線の先にある観ているものが一緒なのかもしれない。
> 生と死のコントラストが強い。そして、すぐそばに存在している。画面の中には生々しさはあるが、どこか箱庭的。それはすごく冷徹な目で捉えている感じ。

 非現実の王国では戦争が起きている。侵略者(おとなの男)に立ち向かう少女(ヴィヴィアンガール)。勝つ部隊もあれば捕まる部隊もある。捕まったら捕虜にはならず、殴打、絞首、磔、内臓もさらされる辱めを受ける。弱者に対して圧倒的な強者の力がある。そんな凄惨な描写なのに、どこかスコンと抜けてカラッとしている。でも現実の戦争で、前線で殺しあってる環境も同じで、たんたんとしているのかもしれない。
 
 女の子にちんちんがついてんだよなぁ。不思議だった。意味はない、たんなる気まぐれかもしれない。でも僕は、ひょっとして、女の子の裸を見たことがないのではないか…そんな風に感じた。男も女もみんなちんちんがついてると想ってたのでは。というのも、ついてない女の子の裸の絵は、腕や脚はぐいぐい描かれてるのに、股の部分は線が消えていってるような、描きたいけど描けない、そんなためらいの余白に思えてしまった。

 ちなみに、これは何年か前の映画のための予告。フラッシュアニメになってるけど、実際はこんなじゃありません。念のため。

2011年5月11日水曜日

台風だし梅雨の走りだし

 みずいろの雨、雨音はショパンのしらべ、雨をみたかい、雨は毛布のように、雨に唄えば、雨だれ、RAIN(マドンナ)、激しい雨…。たくさんありますなぁ。

あ、RCのナンバーは入れてません。今、降ってますからね、雨>雨上がりの夜空に。

 でも、やまない雨はない。希望がみえます。


 最近は外部の仕事がメインなので、雨が降ったらその場で閉店か休み。
たぶん今週は金曜まで休みかも。
 季節は夏に向かってますが、お財布は冬のまんまです。

 働きてー。まぁ、レポートができるんで嬉しくもある。ちゃんとやればね。いや、やらねば。

2011年5月8日日曜日

チケットはパスポート制


 きのうは雨の止むのを待とうかどうしようか迷ってたけど、お気に入りの傘をさせるので雨のそぼふる中、青山のワタリウム美術館に行ってきた。15年ぶりぐらいだ。
 展示内容はレッジョ・チルドレンについてのもの。くわしくは各々に任せるとして(←えっ!?)、イタリアの町、レッジョ・エミリアで生まれた子どもたちの教育のかたちの記録展。
 本当に素晴らしい教えと気づきをもたらせていた。どの子ども表情(顔も身体も一挙手一投足全部)もいきいきと伸び伸びとして、無限の可能性を実践していた。
 おそらく日本人の多くの親は、この展示や記録をみてもまぁ、不安に感じるかもしれない。なぜなら文字や言葉を覚えさせる『教育』の場面なんかないし、針金を切るニッパーみたいなものも渡して切らせてる『危ない』場面がある。何より社会に出たときに役立つような教育が見えないだろうから。

 日本は良くも悪くも鋳型にはめた教育だと感じる。『出る杭は打たれる』なんてことわざもある。目指すは一流でも、世間的には平均がいいのかなー。そのどちらでもおとなが子どもの成長に手かせ足かせをつけてる。その方が育てやすい(んだろう)し、社会にでても出る杭にならないだろうから。
 いろんな教育方法がある。そのどれも正しいように感じるし、どれにも改良点みたいなものはあるだろう。環境や手段はいかなるものであろうとも、子どもの意識が不在であってはいけない。

 会期中、子ども教育研究会という企画が全部で6回ある。ホストが佐藤学さんでゲストを交えての対談。1回目の谷川俊太郎さんと2回目の津守真さんの回を申し込んできた。こちらもすんごい楽しみ。

2011年5月5日木曜日

子供と子ども

 この文字の使い分けの意味を知ってる人は少ないんじゃないだろうか。
 僕も保育の勉強をするまで知らなかった。

 テキストを読んでいて不思議に思った。『子ども』や『こども』の表記はあっても『子供』はひとつもない。なんだろうなぁとグーグル先生にきいてみた。なんでも、供物とか、おとなのお供という意味が連想される、差別につながる、こんなことが書いてあった。

 スクーリングで学校に行ったとき、先生から詳しい説明はなかったが、保育者や保育に身をおくものは『子供』と書かず『子ども』か『こども』とするのが望ましいとおっしゃってた。

 今朝、ツイッターでこんなことをツイートした人がいた。
 『「子供」を「子ども」と表記するのは左翼イデオロギー。愛国者なら表記にご注意を。』

 はあ?って思ったよ。んで、そのすぐあとのツイート。

 『「子ども」で検索すれば嫌でも家本敏郎にたどり着くと思うのだが…。』

 知らなかったんで検索しましたよ。ウィキペディアによると共産党のイデオローグで、この人が「子ども」表記を提唱したようだ。

 文字の使い方だけで右だ左だと判断されるのか。というかさ、保育の勉強をしてるものには右も左も関係ないんだよ。それだけで愛国心がどうのとか、人が人を育てること、国もひっくるめて愛することって、そんなことで量れないはずだけど。じゃあなにかい?言いだしっぺが左じゃなけりゃ受け入れられたのかい?んなあほな。
ちっさいねぇ。どうにも器がちっさい。

 まぁ、そんなちっさいツイートにもやもやする僕もちっさいね。

 

2011年5月3日火曜日

されどぬか漬け


きのうはぬか漬けで飲みました。
と言っても、ぬか漬けしか用意してなかった僕は問題ありだよなぁ。パンチのあるお肉や魚を持ってきてもらったのが恐縮だったです。
漬け物はむつかしい。途中でひんぱんに味見ができんのがなんとも。なので、写真にはないなすびはまだまだ浅くてえぐみが強かった(´ω`)
それでもぬっくん(あ、ぬか床の名前ね)が全部やってくれるのが楽だね。
みょうがもセロリもにんじんもいい感じになりました(・∀・)

2011年5月1日日曜日

明日の神話


 ついったーで見かけた写真。

 webでこの絵のほかの画像を確認してみても、この部分には絵は描かれていない。グレーのパネル。
じゃあ、フォトショで加工?実際に描きこんだかはめ込んだ?

 この行為をみて思い出したことがある。
大阪のアメリカ村に黒田征太郎さんが描いた壁画。

今から20年?25年近く前になるかもしれない。
 ある日、この真っ黒い鳥だか人だかの絵にペンキが投げうけられたような色がついていた。
 「芸術を汚された」と口々に怒りや嘆きを口にする人が現れた。僕もその一人だった。ひどいことするやつおるなぁって話してた。
しかし、黒田さん本人は
 「3年か。意外と遅かったな。大阪もまだまだだな」
こんなひと言をおっしゃってた記憶がある。もっとやれ、とけしかけているように今は感じる。

 直接目にしてないので何ともいえないけど、岡本太郎さんが生きていたら、ひょっとしたらおもしろがっているのではないか。
 
 どういっいた形にせよ、太郎さんはこういう行動は想像されてただろうし、アートがストリートに出ると言うことは、こういうことなんじゃないかと思う。

 日本の明日はどっちだ!?
 
 【補足 21時30分】どうやらベニヤ板に描いたものを置いてあるようだ。きちんと採寸して。
で、もういっこ思い出したのは、以前観たNHKの番組で、作品を街に、路上に出したいという太郎さんに「ラクガキされますから」「彫刻が折れますから」と周りは説得する。
それに対して「ラクガキされたらまた俺が描いてやる!」「子どもが乗って彫刻が折れたならまたつないでやる。だから子どもを乗せてやれ!」

2011年4月26日火曜日

漬け物life

きのう、白瓜がおいしそうだったのでぬか漬けしよーと買った。そして半日漬けた。
切りながら一切れふた切れつまみ食いすると、やっべ、手がとまんねー\(^o^)/んまーい@自画自賛
これからの夏野菜がほんと楽しみ。次はなすび。セロリも忘れちゃいけません。
ぬか床がだんだんかわいくなってきた。手塩にかけるっていうけどお漬物からきた言葉やろか。おいしく育てるでぇ(^ω^)

2011年4月24日日曜日

きのうとはうってかわって


 素晴らしい晴天。まさに天晴れ。

 そんな本日、ガルシア号で行ってきましたアースデイ東京2011に。
1年前のブログにはこんなことが書いてあるはずです。

 「ビジネスのにおいがしてきたので、アースデイは今回が最後…」

 そんなことを書いたのを忘れたわけではない。やっぱさー、震災後だもん。ちょっと気になったし、被災地に行ってる人、被災地から来た人がいるんなら、少しでも応援できたらなぁなんてね。

 11時前に着いた。なんかね、人手が少ない。まぁ例年昼過ぎから混み出すので「こんなもんかな」と会場を散策。お目当ては友だちの子どもの誕生日プレゼント。あとは食材。

 プレゼントのめぼしはつけている。去年買い逃したやつだ。


 あったあったありました。んんんー予算ギリギリ。あぶないねどうも。
 自分にはこちらもおととしから買い続けてるブースでチョイス。デーツは見送り、いちぢくのドライフルーツのみ。

 ぐるっと回ったところで感じたのは、米どころのブースが少なかったこと。いや、ほとんど目にとまらなかった。いつも玄米をかってるところも出てなかった。しょうがないよな。来年会いたい。
 なので、来年もアースデイに行くことを今決めました。

ヨーガ 始めました

きのうの夜、Twitterのフォロワーさんとのやりとりで「そういえばヨガやってる?」というひと言が!
じつは以前、こんなことをその人に言いました。

「前々からやりたいと思ってたんやけど、4月からヨガ始めよっかなぁ。ヨガマットも買わんとなー」
とかとか。

そんなことを言いながらも地震のバタバタで…って、地震のせいにしちゃーいかんですな。
で、2年ほど前に買って一度も観てないヨガのDVDを昨晩ようやく観た。
呼吸と動きがなかなか合わない。息を止めてまうし、目もとじてしまう瞬間がある。リラックスのための動きが全然リラックスできてない結果に(笑)
それに固い。わかってたけどいろいろ縮こまってる。
身体の固さは心の固さと感じます。しっかりほぐそうと思います。

2011年4月20日水曜日

かっけーなー

【MAD】AKIRA×FLASH BACK


もうほんとにハリウッドはAKIRAから速やかに手を引いてください。

2011年4月18日月曜日

ぬか漬けはじめました

 
 ぬか漬けは10年来の想いでした。
 ためしてガッテンを観てからやりたいと思ってたけど、なんせ高温多湿のアパート。エアコンもおととし導入したぐらいの生活。これではぬかが痛んでしまうのでは、と敬遠していた。
 先週、ナチュラルハウスへ買い物に行ったらぬか床セットが目にとまった。売り場の方に尋ねたら夏場は冷蔵庫でもいいとのこと。家に戻ってからwebをチェックしてみると、たくさんのブログにもそう書いている。はなからあきらめていたので調べもしなかったよ。んで、こないだ仕切り直しでようやく買えました。

 ぬかのにおいや混ぜる面倒さ、手にもにおいがつくとかも聞くけど、実際自分で経験してみんとわからんし。
 これから夏野菜がたくさん出るのですんごい楽しみぃ♪ヽ(´ー`)ノ♪

2011年4月17日日曜日

明日へ

 あの日にかえりたい。これはユーミンの曲ですが、震災前に帰りたいね。

 と、やや後ろ向きな想いで書き出しましたが、本当はこの弊ブログのタイトル「for tommorrow」の気持ちを大切にしなければいけません。

 上を向いて歩かなくてもいいよ。涙流しながら、うつむきながら、うなだれながらでも、一歩を踏み出す力を忘れてはいけません。



あと、大きなことを言ったりしなくてもいい。個人がそれぞれできることをコツコツやっていけば実を結ぶと思う。計画停電も含めて。

だから、僕は「安全」と判断された食料品は買っていきたいし、これからも「Half full」の精神で生きたいと思うのであります。

2011年4月7日木曜日

すぐ消されると思う

取り急ぎ貼っておく

http://www.twitvid.com/OHJHO

歌詞もコピペしとくか。
メロディは「ずっと好きだった」。

『ずっとウソだった』

この国を歩けば、原発が54基
教科書もCMも言ってたよ、安全です。

俺たちを騙して、言い訳は「想定外」
懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨。

ずっとウソだったんだぜ
やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ
原子力は安全です。

ずっとウソだったんだぜ
ほうれん草食いてえな
ホント、ウソだったんだぜ
気づいてたろ、この事態。

風に舞う放射能はもう止められない

何人が被曝すれば気がついてくれるの?
この国の政府。

この街を離れて、うまい水見つけたかい?

教えてよ!
やっぱいいや…

もうどこも逃げ場はない。

ずっとクソだったんだぜ
東電も、北電も、中電も、九電も
もう夢ばかり見てないけど、

ずっと、クソだったんだぜ

それでも続ける気だ

ホント、クソだったんだぜ

何かがしたいこの気持ち

ずっと、ウソだったんだぜ

ホント、クソだったんだぜ

2011年3月31日木曜日

「ただちに人体に影響するものではない」

 今は急激な影響はなくても未来はどうなんだ。

 われわれは「現在」だけ生きているんじゃない。未来に向かって生きている。
 未来を担うのは誰かといえば子どもたちだ。子どもたちが生きる世界が汚染されたこと、未来が汚染されたことに対しての見解を知りたいんだ。

 「今だけ」の情報はいらない。

チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 1/4


チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 2/4


チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 3/4


チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 4/4

2011年3月29日火曜日

実は

 地元の水を供給している浄水場で放射性物質が検出されたというニュースが流れたあと、水が入荷していたコンビニへ走り2Lを2本買った。家に戻って落ち着いてきたら「おれ何やってんねやろ」と。
ツイッターでも「おとなは関係ない」「子ども優先」というつぶやきがたくさんTLに流れる。すでに買ってしもた。
 「あほやな自分」
 水が心にずっしりきた。

 次の日だったか、フォロワーさんのつぶやきにドキッとした。
 コピペ→「かろうじて手に入れた水を赤ちゃんのいる親友の元へ…大人が赤ちゃんの未来買い占めるッて、どうゆうこと?」
 僕は今、保育士の資格を目指している。そんな僕がですよ、我が身のためだけに水を買ったのです。まっさきに子どもの未来を護らねばならない保育者になろうとしている人間がですよ。情けない。

 あのつぶやきを見て、これは子どもたちに届けねば、と想った。あの日から時間は経ってしまったけど、こないだ買った2本と、地震当日に買った分を合わせた3本を、今日、仕事が終わって帰宅後に1本ずつ3カ所の近所の保育園に渡してきた。どちらも心よく受けとって下さった。

 自分のなかでの罪滅ぼしのような気持ちで渡してきたが、これらの行為は自分が落ち着いていればしなかったこと。
気持ちは軽くなったけど、この想いは忘れない。園長先生や保育者さんは僕の想いを知らない。それがまた申し訳ない。
 絶対こんなことしたらあかん。しっかり勉強する。(もぐさんありがとう。僕はあなたのツイートで気づくことができました)

2011年3月24日木曜日

あふれる熱い涙

いま、糸井重里さんからRTでまわってきた。

Prayers from kibara for Japan ~祈り~ キベラから日本へ



 ありがとう。

2011年3月15日火曜日

鼻から吸い、その倍の時間かけて口から吐き出す

 被災地、被災した人が親類縁者にいる人以外は落ち着く。

 備蓄と言う名の買占めはやめる。

 コンビニは年配の方、障害者にゆずる。

 いつ明かりが点くかわかってるんだから計画停電に文句言わない。実施しなかった場合も努力が報われたんだから喜ぶ。

 働ける人は働く。お金を使える人は世の中にお金を回す。経済を動かす。

 嘘もホントも情報が手に入る人は、しっかり取捨選択する。

 身の丈にあったことをする。


 原子力や噴火や、こまかいとこでは石原慎太郎氏の天罰発言もあるけど、今やれることをやる。これだけでずいぶんゆったりすると想う。

 肩の力を抜いて、深呼吸しようよ。

2011年3月3日木曜日

さっぶい1日やった

 今日のお昼、とどこうりなく火葬されたそうです。

 お棺にも好きだったものをたくさん入れてもらえたり、ずっと両親とともに最期の最後まで側にいてくれた人もいて、さみしいお見送りにはならなかったようです。その人は斎場までの送り向かいもしてくださり、ほんとお世話になりました。

 体がかたぁくならなかったって言ってた。目も半眼で素敵な死に顔だったそうです。

 今日の様子を電話で聞くだけでもさみしいお見送りにはならなかったのが、なんやこっちもうれしくなるくらい。有難い。

 おかんもおとんもサンボがいてくれてホンマよかったってゆってるよ。癒されたってさ。僕もおんなじ気持ちやよ。

 今日送り向かいしてくれはった人もありがとう。おとんもおかんもありがとう。みんなありがとう。
 サンボ、素敵な時間をありがとう。

2011年3月2日水曜日

 さっき、サンボ(飼い猫)が死んだと実家から電話があった。

 そうかぁ、という感じだった。

 西宮の苦楽園で暮らしてたころ、道端にいたのを見つけたのが出逢いだった。
 僕は以前も猫を飼っていたから世話の大変さ、何より命、かわいいだけじゃない、責任をもてるのか、亡くした喪失感も大きいから飼うのはやめようと言ったんだけど、「飼いたい!」って聞かないもんだから、ペット禁止のマンションに連れて帰った。
 それからおよそ4年の間に、僕らも引っ越したり別れたり。
 東京へ行こうと決心したはいいけど、仕事はアニメーター。生活の貧しさと不規則さはすでに経験済み。実家で面倒をみてもらうように頼んだ。

 上京してから初めて帰郷したときに母親が言った。
 「サンボなぁ、あんたが帰ってくるの玄関で待ってやんねん。もう帰ってけぇへんよっていうてもじーっと待ってやんねん」
 「寝るときもなぁ、あんたの匂いがするんか、置いていったコートの上で寝てんのよ」

 僕はひどいことをした。自分たちの都合で外には出さないようにし、去勢もした。あの子に最初に言った責任も放棄してしまった。
 
 サンボは僕の顔を見て逃げるようになっていた。でも、これでいいと想った。年に1回の帰郷で2~3日しか触れ合わない。こんな勝手な人間は早く忘れてもらったほうがいいと。そうしてくれるほうが僕のほうも心が軽くなると想った。
 だからこっちからはなるべく触らないようにした。だって優しくして思い出されたりしたら、また裏切るようになってしまうから。

 2年前に犬歯が1本抜けた。去年は階段から落ちた。そのときに脚をひねったのか、前足が少し曲がったままだ。12月頃からおなかの辺りの毛が抜け、床ずれのように皮膚が切れて出血、全身麻酔をすると目を覚まさなくなる危険があるから縫合はせず、腹巻をしていた。

 電話で母親が「2月にあんたと会えてよかったわ」と言ったのを聞いて、あぁ、トイレの神様の唄みたいやなぁ、待っててくれたんかなぁ、と、これまた都合のいいことを想ってしまった。

 「ここ2,3日ごはんも食べれんようになって、点滴うけてたんよ。それで今日も受けにいく日ぃやから様子見にいったら…。それが7時半くらいやけど、たぶん明け方ちゃうかなぁ」
 「あのさ、今朝方の夢に猫が出てきたんよ。おなかになんか乗ってる感じもして。色が白か黒かはっきりせぇへんかってんけど、白やったらミミやなぁ。黒やったらサンボかなぁ。でも電話ないからミミかなぁって思ててん」
 「あんたも仕事やからな、朝はやめようおもて。晩に電話しようっておもてん。サンボ、あんたに会いにいったんやわ」

 実家で暮らして16年。僕と関わった時間は4年くらい。
 知らない間に僕の年齢を追い越し、両親までも追い抜いて、家族で一番の高齢になっていた。人間に換算すると98歳くらいらしい。大往生だね。
 目もしっかりしてたし、おむつもつけず、自分の脚でトイレにもいっていた。かがんでごはんを食べたりするのがしんどいのか、手のひらから水を飲んでいた。

 うまくまとまらないのでこの辺で。

 ごはんをねだるとき、すねに頭やからだを押し付ける感触、ヘアゴムが大好きで、しがんだり追いかけたりしてた姿は忘れられない。

 あしたお葬式だと言ってた。いい写真もあるそうだ。
 僕のかわりにお世話をしてくれた両親にありがとう。サンボありがとう。ごめんね。

2011年2月19日土曜日

恋のレッスンはABCですが

 ドレミのレッスンにいってきましたぁ。
いくつになっても初めてのことは緊張するねー。

 バイエルは10番まで進んだ。
じつは先週からNHKテキストを買って、課題曲のショパンを少しやっていた。それがよかったのかも。指が動いてくれたから。先生は「え!ショパン!?いきなり!?」って驚いてはった。テキストの課題曲やからなぁ。 でもね、それこそバイエルのような反復練習みたいな曲や子どもの歌ではないのが良いと想うのです。
メロディもきれいだから「ピアノを弾いてる」っていう気持ちが有能感を呼ぶんじゃないかなぁ。

 「じゃあ、そのテキストで練習してるとこを弾いてみて」って言われたのが緊張に拍車をかけたわー。最初の音がわからんようになった。
自宅やったらもうちょっとなめらかに弾けてるのに、すんごいつっかえてもた。でも褒めてくれました。

 で、落語でいえば「まくら」がおわった。
先生は学校指定のテキストを見て「これはあんまり良くない」と。理由をたずねたら「右手と左手の楽譜が両方ト音記号で書かれてるから」とのこと。ふむ、これは納得。しかも、今までテキストを見てなかったので僕も驚いた。NHKテキストはもちろんト音記号とヘ音記号で書かれてる 。
 実際、両方ト音記号の楽譜なんてないし、特に子どもは最初にこれをインプットしてしまうと途中で戸惑ってしまうんだって。いやいや、おとなでも戸惑いますよ。僕も戸惑ったもん。

 僕はもうちょと厳しいレッスンなんかなぁっておもてた。つっかえたらはじめから。なめらかに弾けるまで繰り返すのかと。まぁ、幼児が世界を目指すはじめの一歩ではなく、いわば学校の試験をパスするだけの技量を獲得するのが目的やから、ずんずん進めてるんやろなぁというのも察しがつく。

 それでも帰り支度のとき「うまく弾けてますよ。さきゆき明るいです」とおっしゃってくれたのが何よりの言葉やった。僕はほめられておだてられて伸びる子なんですよ。うれしかったし安心したぁ。

 レッスン初日。お互いがお互いを何も知らないところからいきなり練習を始めてるので、会話の呼吸、一言に含まれている意味をさぐりながら言葉を交わした。僕も説明下手なところがでてしまい、端的に話せなかったりしたのが恥ずかしかったなぁ 。

 僕も先生のことを知りたいし、先生にも僕のことを知ってもらったほうが、これから進めやすいだろうから「なんでも聴いてください」って言ったし、ひとつ聴かれたことに対して、僕は三つも四つも答えた。
誰々のクラシックのCDを買ったとか、その音楽家の印象とかを伝えた。
モーツァルトはにぎやかで楽しい、ベートーヴェンはドラマティック、ショパンはセオリー通りで上品に感じるとか言ったら、ニコニコしながら「あ、わかってるわね」と相づちを打ってくれてた。

 レッスン時間は1時間ちょい。2時間やるかと思ってたから「えっもう終わり⁉」って感じだった。というか2時間はやりたかったなー。

 今度は先生のこといっぱい聴いてみよう。ピアノを始めたきっかけとか。

 来週のレッスンが楽しみ(・∀・)いっぱい練習しよ

2011年2月9日水曜日

ゆとりは大事

 24時間の弾丸帰郷をきめてきました。

 実家への滞在時間はおよそ12時間。移動時間はおよそ8時間。残りの時間で兄家族や友達と飯ったり。
んで、その兄家族には子ども、娘さんたちがいる。それぞれ大学や高校の卒業目前の。きちんと顔をあわすのは今回が初めて。しかも、兄に弟がいるという情報も最近得たようで、そんな間柄の対面となった。
 なんでこんな風になったかは、まぁ、様々なタイミングというか。あ、それは嘘ですね。単に僕が家族のつながりを大切にしてこなかったのが原因です。兄の病気がきっかけというのもなんだか皮肉なんですが、おととし去年ときて、今年ようやく糸が結ばれた気がした。来年からはちゃんと姪たちにも会わねば、と決意。とゆーか、こんなこと決意すんなって。

 親もいつものようにいつもの場所にいて、元気でなにより。
 猫がねぇ、調子悪いなぁ。病院には行ってる。手術すりゃ早いんだろうけど、全身麻酔するとそのまま永眠になる危険もあるとかで。それでもぼちぼち良くなってきている。人間にすると98歳。んー、でもまだまだ生きてほしいなぁ。いなくなるなんて考えられん。

 友達と会う場所が母校とほど近いので、会う前に母校や中の島公園のあたりを散歩した。
何年も前に立派な近代建築物となった母校。当時はタイル貼りの二階建ての校舎と離れの事務所。立派になりました。昼休みに公園でよく野球したなぁとか、あの時の想いでが走馬灯のようにぐるんぐるん。


 写真は中央公会堂。ここも想い出深い。写真実習や水彩のデッサンでもモチーフにした。内装も大正ロマンで素晴らしく、安くて美味しい食堂もあるし、図書館もいい。何より印象に残ってるのはゲルニカのLIVEがあったこだなぁ。ほんと素敵な時間だった。

 人とのつながり、縁は断とうと想えば簡単にできる。いったん切れたらなかなか繋がらない。磁石みたいなもんで、勝手に引っついたり離れたりするもんだとは想ってる。会えないときは何やっても会えないし。でも、だからといって関係を大切にしないというのは別。

 僕は昔から群れるのが苦手。一人での判断は大事だが、それに至る過程には様々な人の力が関わってできていると感じる。なんでも一人の力でやってきた、なんて想いは間違いも甚だしい。と想う。人生の節目節目には人の援助がある。感じてない人は見えていないだけ。世の中、一人じゃ生きていけないよ。

 この一年は特にしっかりします。あ、こんなあわただしい帰郷はもうしません。

2011年2月4日金曜日

立春ですなー

 あっちゅーまでした、1月は。
2月はただでさえ2日ほどすくないのに。んで3月も終わり、桜も咲いてGWがきたら暑さと湿気の季節になり、またまた最高気温を更新したり秋が短かったりして学年も3年になって、あせってるうちに実習に行き、あれ?もう年末やーん、てことになってお正月。いやー早いねーって2月になる。

 なんだろ、この1年の速さは。

 あしたからテストなんでこの辺にしときまひょ。

2011年1月19日水曜日

あしたは大寒

 絶賛13連休中。

 仕事がない。いや、今までコンスタントにあったのが不思議なくらいか。せめて家賃は確保したい。
今回は親方がインフルエンザになったせいもあるんだけど。立て込んでないときの風邪っぴきが不幸中の幸いかねぇ。まー、早く確実に治してください。

 あしたはどっちだ!?むしろこなくていい。白夜になれ。

 えー、学校にいってなければおそらくゲーム三昧だと想う。もんはんだろーねーやっぱ。
学生ですからこれでも時間は足らないくらい(やる気は別)。なのでレポートにいそしんでおります。本もたくさん読まないと。

 いろいろ遊びたいけど来月のことを考えると引きこもってしまう。実家にも帰りたいんだが。

 来週はどうなることやら。

2011年1月17日月曜日

あのとき

 東京に来て、翌月丸一年になろうとしていた。動画マンであった。
10時過ぎだったかなぁ。いつものように遅刻ぎみに出社。休憩場所にみんな集まっていた。テレビかビデオを観ているんだなーと覗くとガレキが映っていた。
テレビの音声で聴こえたのか、誰かに聴いたのか、誰かが声をかけてきたのかは忘れた。急いで会社近くの電話BOXに駆け込んでいた。
友達の家に電話したあと実家に電話←順番が違うだろww

 どちらも揺れは小さく怪我もなかった。

 当事はテレビの無い生活だった。いつものように寝て、いつものように起きて、いつものように仕事をするために会社に向かった。携帯ラジオはあったが、そのころ家ではほとんどの時間CDを聴いていたので、全く知らずに倒れている阪神高速の橋脚を会社で観た。

 兵庫県出身の子がいた。被害が最も大きい長田区に住んでる親戚と連絡がつかないと言っていた。

 当日より2日目、3日目となるごとに、仔細な状況が伝わりだし、その酷さに目と耳を疑った。

 ただね、ここは東京。やっぱり扱われ方はトップからどんどん後ろのほうになり、毎日じゃなくなり、1年に1回になった。それでも風化されないで特集を組む姿勢は評価したいし、忘れないようにして欲しい。

 街はきれいになった。でも、そう見えるだけだと感じる。
今でも身体のケガ、PTSDで苦しむ方がいる。生き残ったことを哀しむ人もいる。

 そして、震災後に生まれた子もたくさんいる。
 目には見えない部分をきちんと伝え、命のバトンをつなげていくことが大切だ。

 映像は関西電力のCM。5年ごと?にメッセージを伝えている。




 そして、地震の瞬間の番組。鳥肌たった。こんな状況で落ち着いて行動できるだろうか。


 こんなこと書いてるけど、防災グッズ、用意してません。きちんとします。

2011年1月9日日曜日

静かだから、ここ

 うっわ!23日のブログにコメントもらってたことに今気づく。遅いよ自分(´;ω;`)

 いやぁ、だってスパムすら書き込まないブログなんだもん。
たぶんエミーニャさんだと想うんだが名前もないし。

 また書き込んでくださいな。 

2011年1月7日金曜日

こ、これは!

 このCMはほんとに印象深く心に残ってる。

 なぜなら、これを観てアニメーションに興味をもったから。これを観ていなければ、仕事としてアニメーターになろうとも想わなかったのではないか、とすら想えてしまう。



 そんな秘めた想いであったが今まで検索したことなかった。偶然とはいえ今、目にすることができた。

 ネットってすごい。

2011年1月5日水曜日

むー、すごい

 吉成曜さん。ガイナックスのアニメーター。



ユーチューブってすごいなー。あらためて想うわ。

2011年1月3日月曜日

恒例にしてもらってます


 新年に集まってきました。
こういう時間は必要だなぁと感じます。僕は今日、お正月を実感しました。
 集まったのは会場である家の友だち夫妻、その友だちの以前の職場の人(すーさん)と僕。
すーさんは半年前に落車して鎖骨を粉砕骨折。ひどい大けが。まだ、ばんざーいって出来ないみたいだけど、働かないとやっていけないもんねー。解ります。なので、新年会みたいな快気祝いみたいな。

 アニメの頃から感じてたけど、こういう時間を過ごせる仲間がいるって素晴らしいこと。持っていった料理もおいしいって言ってくれて嬉しいじゃないか!年末も作りたくなったよ(7〜8年作ってるけど)。うちの母親の味に似てるって言われて照れたわ、ほんまに。
今回鍋を変えたので、特に黒豆は味が弱く、煮しめもぼんやりしてるなぁと持って行ったのです。でもみんな優しいなぁ。ありがとう。

 マボイリーさんも今年もよろしくです。あ、年賀状届いてます。ありがとう。って、こんなとこに書かないでメール送ろうよ。はい、すんません。