2011年3月31日木曜日

「ただちに人体に影響するものではない」

 今は急激な影響はなくても未来はどうなんだ。

 われわれは「現在」だけ生きているんじゃない。未来に向かって生きている。
 未来を担うのは誰かといえば子どもたちだ。子どもたちが生きる世界が汚染されたこと、未来が汚染されたことに対しての見解を知りたいんだ。

 「今だけ」の情報はいらない。

チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 1/4


チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 2/4


チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 3/4


チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染 4/4

2011年3月29日火曜日

実は

 地元の水を供給している浄水場で放射性物質が検出されたというニュースが流れたあと、水が入荷していたコンビニへ走り2Lを2本買った。家に戻って落ち着いてきたら「おれ何やってんねやろ」と。
ツイッターでも「おとなは関係ない」「子ども優先」というつぶやきがたくさんTLに流れる。すでに買ってしもた。
 「あほやな自分」
 水が心にずっしりきた。

 次の日だったか、フォロワーさんのつぶやきにドキッとした。
 コピペ→「かろうじて手に入れた水を赤ちゃんのいる親友の元へ…大人が赤ちゃんの未来買い占めるッて、どうゆうこと?」
 僕は今、保育士の資格を目指している。そんな僕がですよ、我が身のためだけに水を買ったのです。まっさきに子どもの未来を護らねばならない保育者になろうとしている人間がですよ。情けない。

 あのつぶやきを見て、これは子どもたちに届けねば、と想った。あの日から時間は経ってしまったけど、こないだ買った2本と、地震当日に買った分を合わせた3本を、今日、仕事が終わって帰宅後に1本ずつ3カ所の近所の保育園に渡してきた。どちらも心よく受けとって下さった。

 自分のなかでの罪滅ぼしのような気持ちで渡してきたが、これらの行為は自分が落ち着いていればしなかったこと。
気持ちは軽くなったけど、この想いは忘れない。園長先生や保育者さんは僕の想いを知らない。それがまた申し訳ない。
 絶対こんなことしたらあかん。しっかり勉強する。(もぐさんありがとう。僕はあなたのツイートで気づくことができました)

2011年3月24日木曜日

あふれる熱い涙

いま、糸井重里さんからRTでまわってきた。

Prayers from kibara for Japan ~祈り~ キベラから日本へ



 ありがとう。

2011年3月15日火曜日

鼻から吸い、その倍の時間かけて口から吐き出す

 被災地、被災した人が親類縁者にいる人以外は落ち着く。

 備蓄と言う名の買占めはやめる。

 コンビニは年配の方、障害者にゆずる。

 いつ明かりが点くかわかってるんだから計画停電に文句言わない。実施しなかった場合も努力が報われたんだから喜ぶ。

 働ける人は働く。お金を使える人は世の中にお金を回す。経済を動かす。

 嘘もホントも情報が手に入る人は、しっかり取捨選択する。

 身の丈にあったことをする。


 原子力や噴火や、こまかいとこでは石原慎太郎氏の天罰発言もあるけど、今やれることをやる。これだけでずいぶんゆったりすると想う。

 肩の力を抜いて、深呼吸しようよ。

2011年3月3日木曜日

さっぶい1日やった

 今日のお昼、とどこうりなく火葬されたそうです。

 お棺にも好きだったものをたくさん入れてもらえたり、ずっと両親とともに最期の最後まで側にいてくれた人もいて、さみしいお見送りにはならなかったようです。その人は斎場までの送り向かいもしてくださり、ほんとお世話になりました。

 体がかたぁくならなかったって言ってた。目も半眼で素敵な死に顔だったそうです。

 今日の様子を電話で聞くだけでもさみしいお見送りにはならなかったのが、なんやこっちもうれしくなるくらい。有難い。

 おかんもおとんもサンボがいてくれてホンマよかったってゆってるよ。癒されたってさ。僕もおんなじ気持ちやよ。

 今日送り向かいしてくれはった人もありがとう。おとんもおかんもありがとう。みんなありがとう。
 サンボ、素敵な時間をありがとう。

2011年3月2日水曜日

 さっき、サンボ(飼い猫)が死んだと実家から電話があった。

 そうかぁ、という感じだった。

 西宮の苦楽園で暮らしてたころ、道端にいたのを見つけたのが出逢いだった。
 僕は以前も猫を飼っていたから世話の大変さ、何より命、かわいいだけじゃない、責任をもてるのか、亡くした喪失感も大きいから飼うのはやめようと言ったんだけど、「飼いたい!」って聞かないもんだから、ペット禁止のマンションに連れて帰った。
 それからおよそ4年の間に、僕らも引っ越したり別れたり。
 東京へ行こうと決心したはいいけど、仕事はアニメーター。生活の貧しさと不規則さはすでに経験済み。実家で面倒をみてもらうように頼んだ。

 上京してから初めて帰郷したときに母親が言った。
 「サンボなぁ、あんたが帰ってくるの玄関で待ってやんねん。もう帰ってけぇへんよっていうてもじーっと待ってやんねん」
 「寝るときもなぁ、あんたの匂いがするんか、置いていったコートの上で寝てんのよ」

 僕はひどいことをした。自分たちの都合で外には出さないようにし、去勢もした。あの子に最初に言った責任も放棄してしまった。
 
 サンボは僕の顔を見て逃げるようになっていた。でも、これでいいと想った。年に1回の帰郷で2~3日しか触れ合わない。こんな勝手な人間は早く忘れてもらったほうがいいと。そうしてくれるほうが僕のほうも心が軽くなると想った。
 だからこっちからはなるべく触らないようにした。だって優しくして思い出されたりしたら、また裏切るようになってしまうから。

 2年前に犬歯が1本抜けた。去年は階段から落ちた。そのときに脚をひねったのか、前足が少し曲がったままだ。12月頃からおなかの辺りの毛が抜け、床ずれのように皮膚が切れて出血、全身麻酔をすると目を覚まさなくなる危険があるから縫合はせず、腹巻をしていた。

 電話で母親が「2月にあんたと会えてよかったわ」と言ったのを聞いて、あぁ、トイレの神様の唄みたいやなぁ、待っててくれたんかなぁ、と、これまた都合のいいことを想ってしまった。

 「ここ2,3日ごはんも食べれんようになって、点滴うけてたんよ。それで今日も受けにいく日ぃやから様子見にいったら…。それが7時半くらいやけど、たぶん明け方ちゃうかなぁ」
 「あのさ、今朝方の夢に猫が出てきたんよ。おなかになんか乗ってる感じもして。色が白か黒かはっきりせぇへんかってんけど、白やったらミミやなぁ。黒やったらサンボかなぁ。でも電話ないからミミかなぁって思ててん」
 「あんたも仕事やからな、朝はやめようおもて。晩に電話しようっておもてん。サンボ、あんたに会いにいったんやわ」

 実家で暮らして16年。僕と関わった時間は4年くらい。
 知らない間に僕の年齢を追い越し、両親までも追い抜いて、家族で一番の高齢になっていた。人間に換算すると98歳くらいらしい。大往生だね。
 目もしっかりしてたし、おむつもつけず、自分の脚でトイレにもいっていた。かがんでごはんを食べたりするのがしんどいのか、手のひらから水を飲んでいた。

 うまくまとまらないのでこの辺で。

 ごはんをねだるとき、すねに頭やからだを押し付ける感触、ヘアゴムが大好きで、しがんだり追いかけたりしてた姿は忘れられない。

 あしたお葬式だと言ってた。いい写真もあるそうだ。
 僕のかわりにお世話をしてくれた両親にありがとう。サンボありがとう。ごめんね。