2009年7月27日月曜日

い・け・な・い・歌

 「決して大ヒットを飛ばす人じゃなかった」
小倉智昭氏が自身の番組で、忌野清志郎追悼のコーナーでの言葉。ちまたでは英語だかなんだかよく聴きとれない軽いサウンドがミリオンセラーとかになってますが、こっちのほうが気持ち悪いだろ!?と思ったんです。今まで漠然と赦しがたかった。はい。過去形です。今日、渡辺祐さんのブログを読んでわかったことがありました。
 一部を書かせてもらいますと『そんなロックやR&Bが、当時はとってもいけない音楽だったこと口時代感覚がないとわかりづらいかもしれないけれど、60年代も70年代も、そしてRCがブレイクした80年代でさえも、優等生は聴いちゃいけない音楽があった。』
 このブログを受けて、この歌を思い出しました。

 僕が歌う歌を誰も知らない でも それはいいことなのかもしれない 僕の歌には力がありすぎるから

 そうだ!聴かせちゃいけない歌だったからだ。言われて改めて気づきましたよ。その後、なんとなく歌詞を検索にかけてみたら、渋谷陽一さんのブログにたどり着きました。
 
 http://ro69.jp/blog/shibuya.html?2009/05/15
 
 祐さんも渋谷さんも"君がボスを知ってる"ので、本当に大好きです。
 
BGM 誰も知らない ラフィータフィー

2009年7月23日木曜日

まさに魂のほとばしり

 日食で埋もれかけたニュースを友達が送ってくれました。
 
 おととい、アニメーターの金田伊功さんが亡くなりました。
 僕がアニメーターという職業を志すキッカケを与えてくれた人です。勝手に心の師匠とさせていただいてました。
 
 アニメが好き!という人たちの中に、声優は知っていてもアニメーターまで知っている人がどれだけいるかは解りません。
 宮崎アニメは全部観てる!という人たちの中で、この方をどれだけ意識しているのかは解りません。
 まー、アニメーターって言う存在の認知度がその程度だっていうのは知ってますから気にしてませんが。しかし、アニメ業界でこの方を知らない人はほとんどいないといっていいでしょう。特に30代以上では。
 
 そして、これだけは間違いないだろうといえることがあります。レイアウト、ポージング、タイミング、エフェクトのフォルム、メカ作監という立場もひっくるめて、この方がいなければ今のアニメーションはかなり違ったものになってるであろうということ。
 
  金田跳び("飛び"よりもしっくりくる)
  金田パース
  金田光り(びかり)
  金田アクション
 
 どれだけビデオをコマ送りして真似たことか。
写真の本は僕のバイブルでした。
 
 
 仕事はアニメから離れてしまいましたが、今でも僕の中で本当に大きな、偉大な存在でした。
 
 どうぞ安らかに。
 
 
 2009年、ちょっとしんどいです。

2009年7月21日火曜日

僕は忌野清志郎を知らない

 どうも昔から活字や写真の清志郎に興味がない。なぜかを最近たまーに考える。昔はインタヴュー記事でも、本人が言ってないことを書いた書かれたと騒ぎになっていたし、そんな本当が疑わしいのを読む気になれなかった。じゃあ、自身が書いた本は?ってことだけど、これもこんな忙しい人が書く時間あるの!?ゴーストライターちゃうの!?と疑いだしたのが始まりだったと思う。
 もう一つ、その瞬間で止まってしまってるのがなんとなく嫌なんだ。写真や映像は歳をとらない。活字もその時期の想いが切りとられて時間が止まっている。CDの音源も時間は止まってるじゃん!確かにそうなんだ。だけど写真や活字の時間の止まりかたは生々しいっていうか。その時代に読むんだったら鮮度もあるけど、何年もたって読むのはなんか後ろ向きな感じがして。もうすんだことじゃん、みたいな。曲の中にある想いは、普遍的で永遠を感じる。それにRCにしろ忌野清志郎は、スタジオで作り込んだ作品が素晴らしいアーティストではなく、ストーンズのようにライヴパフォーマンスが素晴らしいアーティストだと 僕は感じてる。極端に言ってしまえば、ライヴ会場に行かない限り曲が聴けなくても納得出来るっていうか。
 好きになった人がどんなことを考えてるのかを知りたい欲求は当然だと思う。友達ならしゃべったらいい。でもそれが遠い存在の人なら、そういう媒体を通じてでなければ知れない。僕は、忌野清志郎に対しては、休みの日に何をしてようがアルバムのコンセプトとか、sexが上手いのか下手なのかそんなものはどうでもよかった。わりと定期的にアルバムが届けられていたから。メッセージは届いていたから。
 そう。もう届かないのだ。あなたのこれからを知りたくても叶わぬことになりました。困りましたねぇ。
 そんな最近。FRIDAYで違う人の目からみた忌野清志郎が語られてます。僕の知らない忌野清志郎が書かれてます。曲がうまれた背景も知りたいと思いはじめました。
 手始めにテレビブロスの増刊を買ってみました。
 
BGM 君が僕を知ってる RCサクセション

2009年7月20日月曜日

大地に立ってました。

 今朝、SNSの友達の日記を読んだらガンダムを見に行きたくなった。映画とかじゃないですよ。お台場の1/1ガンダムです。
 行くんなら平日と決めてました。少しでも人が少ないときをと考えてたからです。しかし、夏休みなので平日も休日も人出はあまり関係ないことに気づきました。
 電車の乗り換えの都合で、東京テレポート駅から徒歩で潮風公園へ。人の流れが出来ている。フジTVを横目に台場駅を過ぎる。徒歩10分かあ。結構あるなぁと感じたころ、お。プラカードを持ってる人がいた。看板もある。この先だ。
 会場の公園に入ると、早く見つけたいために目線が上になってしまう。
 見えた!
 はやる気持ちをおさえられず足早になる←子どもか(笑)。木々の間からも足首がちらちら。角を曲がると全身が現れました。背面です。
 「うっわー。かっこいいー」思わず口からでてしまった←大人だろ(笑)撮ってる人にぶつからないように、横を見上げ、そして正面に回り込み、ふぅーと一息ついて見上げた。それはもうなめるように。
 「よぉ出来てんなあ」
 各部のマーキングもうるさくなく、関節部分…手首のすき間から見える内部コードや、大抵の人が見上げるので←当然だ、下から覗かれる股関節、ランドセル周りもバーニアもしっかり作られている。バーニア焼けもあり、かなり『らしさ』があります。つか、ぬかりないです。
 このスケール感をいい感じにおさめられんもんかなぁと公園をあちこち歩き、構図を探るもピンとこない。そうこうしてるとガンダムの起動音が聴こえる。見ると首が動いてる。
 「こいつ、動くぞ」
そんな感じでしょか(笑)
 かなり並んでるけど、ガンダムの股をくぐれる列に行くことにしました。
 並びだすとスイスイ進む。こりゃええわ。さっきよりも近いので、かなりあおり目の写真を撮る。と、進まなくなった。なんやろ?と思ってると後ろから「あと2分」と声がした。時計をみると1時58分。2時になんかある?あ!動くの?
 BGMが変わりました。胸の排熱ダクトが光ました。ほほぉと見ているとそこから煙が!肩やスネからもミストが噴出されてます(笑)首も左右に動いたあと、ギュイーンと宇宙(そら)を見上げました。かっくイイ(≧∇≦)拍手がおこりました。僕もしましたよ。
 股をくぐり、ステージを降りて振り返る。このガンダム、背面や斜め後ろが素敵です。
 今度は夜に行こう。なんて思います。
 
   ***
 
 もう、ガンダムっていえば『大河原Ver』ではなく『カトキVer』なのかなあ。確かに説得力があるからなぁ。「動きそう」って思うもん。アニメのメカデザインを現実にもってくるのもなんですが、理屈でいっても大河原ガンダムの足では自立しないだろうし。
 もう一つ欲を言えば、コックピットも作り込んでほしかった。何やら顔の横で写真を撮れる権利がヤフオクで百万の値がついたらしいが、そこじゃなくてやっぱりコックピットで撮られたいだろう。照準を後ろからグイーンとしたりしてさ。
 それにしてもすごい時代になりました。

2009年7月19日日曜日

FEEL SO BAD

 清志郎の夢をみた。
嗚咽。泣きながら目がさめた。
他愛もない夢さ。金ぴか衣装を着て、デコチャリにまたがった清志郎。ただそれだけ。
 
 
きみのこと 夢にみたのさ
目がさめて ぼくは悲しい
夢の中には 涙はなかったさ
目がさめて ぼくは悲しい
 
鏡の前できみを呼んでも
泣き出しそうな ぼくがいるだけ
 
今日一日は 朝から晩まで
なんとなくなんとなく 悲しい
 
 
 はじめてこの曲を聴いたとき、よく解らなかった。
なぜ、きみの夢をみたのに目がさめたら悲しいのかが。
 夢であえて愉しいのは付き合ってるときだけ。別れたあとのきみの夢は悲しい。きみとの愉しい夢であればあるほど目がさめたとき悲しい。
 
 最近はこんなことありません。
 
夢をみた RCサクセション

2009年7月15日水曜日

蒸すか暑いか

 どっちかにして!あぁ、それなら蒸すの嫌です。梅雨明けしたからって容赦なさすぎです。この暑さ。

 それにしてもやっぱすごいわ、マツミの家。
玄関開けるとヒンヤリすんだ。あ、新築ね。もちろんエアコンなんかまだついてません。
 夏は涼しく、冬はあったかい。断熱ってすごい(ちなみに外断熱)。
〔実家もこんな断熱材を使ったリフォームをしたい。〕

 今回のM邸新築現場。施主様は農家をされているようで、玄関先で枝豆やなんかを販売しつつ。
 ペンキ屋もキャベツを頂戴しました。ありがたいです。一玉あるので、今週はキャベツ週間です。

芥川賞 直木賞

 候補者の顔ぶれはかなりおもしろいのに、いざ選ばれた名前をみると「ふーん」って思ってしまった。
 かなり失礼ですね。読んでみますから許して下さいな。←誰に謝るのか

 選者の感覚が古いのかと思うよ。まるで横審みたいに。読み比べてみますから許して下さいな。←だから誰に

2009年7月14日火曜日

放蕩息子です

 なんともふがいない人間だ。
こういう状況になると

 どこで路を間違ったのか
 どこでボタンをかけ違えたのか
 何をしてきたのか
 何をしたいのか

…非力な自分にいらだちます。

 そんな過去を悔やんでもはじまらので、50歳になる頃にはもうちょっとましな大人になっていますように。と祈るばかりです。いくらなんでも祈るだけでは他力本願も甚だしいので、努力はせねばいけません。

 母親と同じようなことを考えていた。
あそこはそうした方がいいに決まってる。
 でも、最優先で最重要なのは兄です。
こちらをクリアしないといけません。

 ほんとにはがゆい。なんで僕はこんなにも体たらくなんだろう。

 やれやれです。

2009年7月12日日曜日

こんにちワン!がんばるワン!

 都議選の投票をしてから、隣町でのイベント『第12回むチューふれあいまつり』に行ってきました。
 お祭り好きっていうだけではなくて、アイメイト協会のブースがあるからです。
 この協会ではアイ メイト…盲導犬を広く知ってもらうために、一般の人を対象にした歩行体験を実施しています。以前からそれに参加したかったので、絶好のチャンスです。

 屋台がいっぱい!イベント会場の公園はすごい人で、足元からあがる砂ぼこりと、焼きそばやなんかの屋台からの煙で、場所によっては少し白く煙ってる。
 屋台への列、シートの上で食事している人たちをよけながらアイメイト協会のブースを探してると、奥にのぼりが見えました。
 いくばくかの募金をして、歩行体験について聴きました。パイロンで障害物を作り、ロープで囲われたコースをアイメイトと係員で歩くようです。
 ブースの後ろをみると犬がいました。アイメイトだ。みんな撫でたりしてます。
 犬と触れあうのは何十年ぶりだろう。それもこのクラスの犬を。だいいちレトリバーは初めて。
 首もとを少し撫でてみます。顔を向け、手を匂われました。鼻を押し付けてます。
 「うっわー、かわいいなぁ」
 写真の手前にいるのがチャーチル。奥がナナと係りの女性が言ってます。
「この犬も盲導犬なんですか?」
と質問をした女性がいました。
「いえ。こういうイベントの仕事専門です」
 チャーチルは背中のハーネスがあたるところらへんがくせっ毛なのか、ピンピンしてます。 普通、街なかで盲導犬をみかけても、声をかけてもいけないし触ってもいけない。そういう風に訓練もされてますが、さすがに触られまくられたナナはお腹をみせて転がりはじめました。その様子をみて「これから仕事なのに緩みすぎ」と、ナナに英語で一言注意をしたら、居住まいを正し伏せました。

 歩行体験の時間です。ハーネスをつけたらナナとチャーチルの顔が変わったようにみえます。
 コースは片道15メートル位の往復。そこをアイマスクをしてアイメイトを頼りに歩きます。
 親は子どもたちが体験する様子をみるだけで、ほとんど並んでなかったなぁ。ナナの列に並びました。
 僕の番がきました。マスクを装着。日差しの明るい風景が闇だけになりました。
「左手を失礼しまーす。ここをしっかり握って下さい」
「はい」
「もうちょっと腕の力を抜きましょうか」
と腕をぶらぶら揺すられました。闇に包まれた時点で、ぐっとりきんでしまったようです。
 「ゴー」
 かけ声に合わせてナナが歩きます。かなり速い。引っ張られそうになります。
 「歩いてみてどうですか?」
「思ったより速いんですね」
 ん!?止まった!?回った。折り返しだ。
「障害者のかたもそんなゆっくりではありません。普通のスピードで歩かれます」
「ストップ。お疲れさまでしたあ」
 時間にして30秒ほどじゃなかっただろうか。
 体験させてもらった上にお茶まで頂いてしまいました。

   ***

 公園をでてから考えた。「速い」と感じた歩く速度、僕が普段歩いてるスピードとかわらないのではないか。やはり怖さがあったから足がでなかったんだろうと。でも、怖いっていっても公園。しかも限られた空間を係員と歩く。危険は自分で転ぶくらいだろう。それでも見えないことに不安を感じた。いかに目で見ることに、目からはいる情報に慣れてしまってるかが解った。
 また、こんなことも。
 僕は目が見えている。視力も落ちたかもしれないが、1.2や1.5はあるだろう。これから先、見えなくなることがあっても、今までの情報で想像はできるだろう。しかし、最初から見たことがない人は、特に色を想像、表現することが難しいのではと感じた。
 空の青も、雲の形も千変万化。今、見えているからこそ様々な色や形を想像できる、表現力豊かな言葉を使っていきたいと想う。

 とても不思議で、貴重な時間でした。3・4年前から行きたいと思ってるダイアローグ・イン・ザ・ダーク。行きたい気持ちが強くなりました。

ソ・ウルフルズ

 ウルフルズが東京に進出(メジャーデヴュー)と同時くらいに僕も東京へ進出(^_^)
 大阪にいた時、インディーズ時代のライヴにわりと行っていたので、お!君たちも来たか!なんて嬉しかったが、メジャーデヴュー曲を聴いて愕然とした。よく言われがちな「魂を売った」と感じたんだ。トータス松本も髪を切ってたし、ウルフルズのソウルが変わったと思った。

 ウルフルズといえばカンテ・グランデ。大阪のインド茶屋(カフェなんて言葉は使いたくない)です。
 確かトータス松本、ウルフルケイスケ、サンコンが中津のカンテでバイトしていたように思う。
よくB E Tトーストとチャイを食べにいったもんです。
 彼らが拠点にしていたライヴハウスは十三ファンダンゴ。いつも超満員。ステージ上のケイスケと会場からのトータスコールで、シルバーの着ぐるみ状のジャンバーを着て二階から階段をかけおりてくる。のっけから最高潮。その演出(笑)のアホさ加減も好きだった。
 大阪ストラッドのようなおもろさやファンキーさを追求した曲もやっていたが、やっぱラヴソングが多かったような。
 音も必ずサックスを入れてたので、荒削りながらも深みがあり、サム・クックのワンダフル・ワールドの空耳というかカヴァーが大好きだった。
 まー、メジャーデヴューやからな、つかまんとアカン。大人の事情もあるわな。のちのちRCみたいにホーンセクションとか入れたりする日もくるんかなぁ、と夢想しながら少し距離を置き静観。
 しかし、ウルフルズのルーツであるところの「ソウル」さが僕にはなかなかみえなかった。ワンダフル・ワールドがアルバムに入ったのはいつ頃か。デヴューからだいぶたっていたはずだ。その時は「ようやっとかあ。でも、逆になんで今頃?なんか意味深…」なんて思ったり。

 単に自分が作り上げた勝手なイメージに固執していたようにも思うが、あの頃のウルフルズはどっかいってもたなぁ。この想いがずーっとあった。
 まー、トータス松本が飲み込んで吐き出したソウル、魂の音がこれなのかもしれないと、思えなくもないんだけど、ファンダンゴが異様におもろかったからなぁ。

 東京では好きとか嫌いとかではなかった。絡まった想いをもちながら、ラジオから流れてくる曲やトータス自身の言葉を聴いてきた。

 あれから二十余年。あの当時の中津カンテもとっくになくなり、ウルフルズもひとまず終幕。
 僕の中でもピリオドをうちました。

2009年7月8日水曜日

ボロは着てても心は…

 帰り道、仕事で使う軍手を買いにワークマンへ寄った。

 買い物を終え、車に乗り込んだK玉さんが言った。
「ワークマンに寄るたび、われわれもユニフォームが必要なのでは…って悩む」
と言い出した。

 え!?ユニフォーム!?しかも悩んでんだ!?知りませんでした。そんな想いでいたことを。
 よくよく話をきけば、どうやら仕事中に着る服ではなく、出勤退勤時に着る服のようだ。もちろん胸に社名入りの。

 普段はお施主さんと挨拶をすることはほとんどないが、二期工事やリフォームなんかだと、すでに住んでるお宅にあがって仕事をすることになる。その最初の段階、ペンキで汚れた服のまま挨拶するよりは、ユニフォーム…きれいな制服の方がいいのではと考えてるようだ。
 それから仕事着に着替える感じ。

 まー、そう言われると半端なく汚いかっこやからなぁ。失礼っつったらそうかもしれん。んでも、かっこで仕事するんちゃうし。ここよ、ここ(腕を叩く)。
 最初の印象をよくしても、結果が酷ければ工務店を通してクレームもくるだろうし、2回目の依頼はなくなるだろうし。

 んー、普段があまりにも汚いってことなんかなあ。
 僕はどっちゃでもいいんですよ。いや、制服なら仕事帰りに買い物に行きにくいなあ。
 なくてもええんちゃいますか?
 その分、給料上げてください。

2009年7月6日月曜日

14歳からの哲学 より

 天才だなんて、そんな大それた才能は僕にはありませんって言いたいだろ。違うんだ、才能のあるなしは問題じゃない。そんなものは、二人として同じ人はいないという、個性の違いにすぎない。問題は、君が天才と共に天を見られる人であるかどうかということだ。天を見るとはどういうことか、もうわかるよね。ちっぽけな自分を捨てることだ。無私の人であることだ。君が自分を捨てて、無私の人であるほど、君は個性的な人になる。これは美しい逆説だ。真実だよ。人は、個に徹するほど天に通じることになる。この宇宙は、なぜかそういうつくりになっているからだ。

2009年7月5日日曜日

ユニセフ・マンスリーサポート・プログラム

 先々月から、子どもたちのためにユニセフへ募金をはじめた。
 この冊子はそのプログラムに参加している人に送られてくるもの。今日届いた。

 日本ではなかなか想像しにくい現状が、同じ地球にある。

プロに任せたい気持ちはある

 先週くらいから、後輪のブレーキをかけると「ザリザリザリザリ…」と音がするようになった。
 見ると、かなりパッドが減っていた。これはパッドが減りすぎて、金具が当たってるのかも。給料でたら自転車屋に持って行こうと、それまでだましながら乗ることにした。

 自分でやってもいいんだが、ヒヤリハットの時に関わる大事なパーツ。プロにやってもらうことに決めた。
 修理時間は一時間くらいかなぁ、その間に日用品を買う心づもりで自転車屋に行く。

 もう割と混んでる。
「あのー、ブレーキパッドの交換をお願いします」
「前後ですか?」
「はい」
「それじゃあ、だいたい2時過ぎになります」
「え!?3時間後やん!?厳しいなあ」

 任せると時間は3時間、料金は修理費あわせて約4千円。自分でやればパーツ代の約2千円だけ。

「んー。じゃ、自分でやります」

 と言うことで、パーツを買ってお店をあとにした。

   ***
 
 そうめんを食べたあと昼寝をしてしまった。
 時計をみると3時。
「やるか」とパドック←ただの台所(^_^;)に向かう。

 どれくらい前に替えたっけ、なんて考えながら前輪から始める。
終了。
前は簡単。後ろが問題なんだよなぁ、今回の音も後ろだし。とパーツを外しだすが外れない。ブレーキワイヤーを緩めたくないけど仕方がない。やっとのことで取れた。
 案の定、すり減ってそこから金具が出てた。それがホイールにあたり音がしてたわけだ。
 位置を決め六角レンチで締めると、遊び分がなく、すでにホイールに当たっている。しかし、これより上にするとタイヤにあたるし、下ではホイールをつかめない。前に交換した人、よく出来たなって思いながら、反対側のパッドとブレーキワイヤーを調整しながら位置を探る。

 なんとか落ち着きました。

 じんわり汗ばんだので、早速銭湯へ。
 ブレーキのかけ具合は遊びが少ない気もするが、まーこんなもんでしょ。

 銭湯のカウンターの前でカバンを探って、財布を忘れたことに気がつく。
取りに帰ろうか迷ったが、

「財布を忘れてしまったんです。今度2回分払うってことは可能でしょうか」
「あぁ、いいですよ。どうぞ」

 助かっちゃった。男湯ののれんをくぐりかけ、
「なんか書いたほうがいいですか?」
「いいですよ。わかりますから」

 そんなで、今日はただでお風呂をいただいてしまいました。
 女将さん、ありがとうございました。

2009年7月3日金曜日

5月6月7月と

 金曜日が嫌いになりそうです。

2009年7月2日木曜日

安心おやつ

 こんな雨降りの日でないと、すんなり買えません。
 看板ドーナツのはらドーナツと、きなことよもぎをチョイス。
 おいひぃー(*^〜^*)もぐもぐ