・こんなことも出来る 見せびらかすぐらいの気持ち
・匂いの濃淡
・見なきゃいけないし見ないといけない
・いつでもなにかを失っていくほうが幸せ
・他者との通路を回復しないかぎり人間関係は難しい
・こんなことも出来る 見せびらかすぐらいの気持ち
・匂いの濃淡
・見なきゃいけないし見ないといけない
・いつでもなにかを失っていくほうが幸せ
・他者との通路を回復しないかぎり人間関係は難しい
11時半頃着いたが、すでに人だかり。しかも、どんどん増えてくる。ブースを眺める前に腹ごしらえをしようと思い、何を食べようか迷ってるとカレーのいい匂い。こういう時のカレーの匂いはやばい。それしか考えられなくなる。
匂いの先には薬膳カレーの看板。ピーク前だと思うが、それでもかなり並んでる。でも、デポジット制のカレー皿とスプーンを借りたので辛抱強く列に加わる。
黒米が入ってるのか、ほんのり紫色のごはん。カレーも程よく辛く、シチューのようなとろみのないサラサラなルーも大好き。おいしかったぁ。
さて。お腹も落ち着いたので、本格的にブラブラ開始。
まずは食材や食品を扱っているゾーンから。歩きだすと、歩き食べをしている人の食べてるのはどこで買えるのか、食べ終わったばかりなのに、そんな所に目がいってしまい、見つけては買って、食べてばかりいた。
(結局、日曜日も行く。きのう食べそこねたおにぎり弁当が最高でした。)
僕は、特別なことはしていない。ボランティア活動や、NPOやNGOにも属していないし、Co2削減やフードマイレージも意識してるが徹底は出来ていない。でも、生きていく上での必要なことは、すべて地球につながっていると思うので、こういうイベントを通じて改めて地球のことを考えたり、意識をすることは、今一度、襟を正すというか大事だと思う。
他の人たちも、想いの程度の差はあると思うが、少なからず何かしたい、しないといけないと考えていると思う。
しかし、今一歩、踏み込んで行動出来ない人が多いのは事実。僕も含め、京都議定書に賛同出来ない国もあるのだから。
「一年間地球を見ているうちに、だんだん地球がか弱い愛しいものに見えてきました」
旧ソ連の宇宙飛行士、ウラジミール・チトフ氏の言葉。
僕たちは地上にいる限り、地球をか弱いとか愛しいとか、感じられないのではないか。月がいい例だと思う。あの鉱物の塊に、古来から様々な想いを馳せてきた、双子星のような月。つまり、目線が、対象が近すぎて見えないんだと思う。
今でこそ、毎回のように日本人が宇宙飛行士に選出され、映像や言葉が伝わってくるが、やはり、他者の想いであり目線である。かといって、全員が宇宙に行けるわけでもない。
木を見て森を見ず。鳥の目になって俯瞰して見る。
そんなイメージすることが大事。その鳥の目を、ずっと上から、ジェット気流をこえ、成層圏をこえて地球を観る。すると、今よりも明確にすべきことが見えてくるような気がする。
みんながイメージを共有出来た時、ひょっとしたらこのイベントはなくなると思う。それまでは、このlove&Peaceな空気に包まれた空間に全国から集まった、同士のような連帯感を感じたりしていたい。
実は、1ヶ月前にボランティアでの参加も考えた。準備期間が足らないと判断したので、今年は見送ったが、来年はスタッフとして参加してみたい。
すでに来年が待ち遠しいです。
BGM・歓びの種 YUKI IMAGINE J.Lennon
自転車で東京国立博物館に行くのは今日で二度目。前回は、日光月光菩薩を観に行った。およそ一年前だが、非常に疲れた印象がある。帰りの途中、ヘルメットをきつくしめ過ぎたのと、慣れないサングラスの両方から、こめかみ辺りを押さえられてるせいで、頭痛も出てきて、挙げ句に雨まで降る始末。
今回は初めての道のりでもない、天気も終日晴れの予報、何より平日の昼間、博物館は混まないだろう。憂うつな要素が思い浮かばない。
時間は11時15分。小腹が空いてきたので、コンビニでスポーツ飲料とブリトーを買い、その場で食べて、いざ出発。
事前に決めたルートは、井の頭通り→五日市街道→青梅街道→中野通り→大久保通り→外堀通り→中央通り→上野駅→国立博物館。予想タイムは1時間30分。広すぎても怖いけど、狭い道を選んでない。
実際走り出すと、車もそれほど多くなくて走りやすい。中野通りに入った辺りで、念のためにルートを再確認しようとリュックを探った時、地図を忘れたのに気がついた。まー、ほとんど道なりの一本道だし大丈夫だろうと進んでいくと、予定外の新青梅街道に出た。
早速間違えた。新青梅からも行けないこともないが、当てずっぽうで行って神経と体力を無駄に使いたくないので、コンビニで地図を立ち読みする事に。
目白通りを行くと、飯田橋の外堀、中央通りへ行けそうだ。気持ちを切りかえて進んでいくと、見覚えのある景色。以前仕事でこの道を通ってる。なんか、知ってるせいか、妙な安心感がわいてきた。
ニ叉路。地図ではここをチェックしてなかった。丁度、交番があるので道を聴くことにした。
「上野の国立博物館を目指してるんですが」
「あ。それならいい道を教えます。コッチを突き当たりまで行くと護国寺があります。不忍通りになりますから、それをそのまま右に行くと上野公園の上の方に出ますから、博物館は近いですよ」
「ありがとうございます」
んー、そっか。わりといい感じに行けそうだ。なんて思ったのも束の間。アップダウンが多い。だらだら続く登りも嫌だが、短くても勾配が厳しいのも辛い。帰り、この道は使わないと固く決意。
いくつかの坂をやり過ごし、ようやく平坦になったのはいいが、あれからかなり来たような感覚があるが、一向に近づいてる気がしないし、標識にも文字が出てこない。しかし、お巡りさんに聴いた道だ。どうなんやろ。コンビニも本屋もない。かなり不安になった頃、目の前を走るバスの行き先が、上野松坂屋前とある。「あ、あってる。もうすぐかも」と、思ってからも長かった。
ようやく公園の緑、池が見えた時はほっと一安心だった。時間を見ると1時20分。1時間50分かかった。まぁ、迷いながらやしこんなもんか、と木陰で弁当を食べながら、汗が引くのを待つ。
「うわ。めっちゃ並んでるやん」
一瞬驚いたが、平日でこれでは週末はどうなんの!?今日来てよかったと思い直す。
興福寺創建1300年記念、だそう。水晶や、銀の匙や椀の展示物もきれいなんだが、阿修羅像に気持ちがいってるので、いつも以上に足早に展示室を移動する。
国宝の八部衆像と、国宝の十大弟子像が並べられた、ひときわ広い展示室。十大弟子の顔立ちも少年から壮年まで様々。また、表情も優しさのなかに厳しさ、険しさがあり、たたずまいに気高さを感じた。
八部衆像。まじまじと観るのは初めて。あどけなさが残る顔立ちに驚いた。激昂しているもの、静かに瞑想しているもの。十大弟子もそうだが、個性…性格が顕れている。素晴らしい。
阿修羅像の展示室。日光・月光菩薩を観た場所だ。ここは入ると、まずバルコニーのような中二階になってる。わりとゆったり全身が拝見出来る場所。なぜだか鼻の奥がじんとしてしまう。
細い。華奢。美少年。とても破壊を好む神とされる容姿にはみえない。僕自身、楽しみながら破壊をする神とは思っていなかった。この憂いを帯びた表情…哀しみの気持ちを持ちながら、やむなく破壊をしてきた神だと思っている。
間近に観るために下に降りる。阿修羅像は三面六臂である。当たり前だが正面以外にも左右に表情がある。こちらも初めて拝見したが、三面ともそれぞれの想いの表情があり、憂い、哀しみをおびているのに驚かされた。特に向かって左の表情、下唇をかみしめていたのにびっくり。少年のようにみえる、その瞳の奥には何が映るのか。どれだけの哀しみを観てきたのか。
このあと、圧倒的な四天王や菩薩立像もあったけど、阿修羅で満足でした。
足こそつらなかったが、よく帰ってこれたと思う。小さめのサロンパスを片足に7枚、計14枚貼って寝るも、全然疲労がとれていない。
朝、会社まで自転車をこぐのがしんどかった。やっぱり筋トレしないとダメだ。
もう一回観に行きます。
東京も夏日。昼寝をしていた耳に、ラジオのナヴィゲーターがそう言ったのが聴こえた。網戸から入ってくる風がぬるい。時計を見ると、2時間ほどまどろんでいた。
昨日、休みが決まった時から、日曜に出かけようと思っていたギャラリーに行こうかなと考えていたけど、その方のブログに、日曜日に行こうと思います。そうコメントを書いたら、日曜日はずっといるのでお待ちしてます…とレスがあった。そのせいで、行く気持ちがなかなか固まらない。
昼寝をし過ぎた重い瞼と身体を起こし、寝ている間に止まったCDをかける。
よし、出かけよう。
クローゼットにしているトランクから、さすがに半袖は行き過ぎだろうと思うので、ドレスシャツを出して着たら気持ちが高まってきた。
向かう先は西荻窪。2つ隣の駅。自転車で20分くらい。西荻は、以前引っ越し先の候補と考えていた町で、何回か来たことがある。届いたDMの住所から地図を見ると、場所は駅前の商店街だと見当をつけ、重たい足でペダルをこぎ出した。
すぐ着いた。近い。
会場は364という名前のDOWN to EARTHな食材と道具を扱う小ぶりなお店。その2階で、カンボジアの働く布「くらしのクロマー」展をやっている。
きれいな色。もちろんシックなものもあるけど、春らしい軽やかな色合いのクロマーがいっぱい。
この布、肌触りもよくて、柄もギンガムだから普段着にあわせやすいし大好きです。(写真のを購入。)
さて、ブロガーの方はいらっしゃいませんでしたが、4時頃おみえになるとのことなので、喫茶店で30分ほど時間をつぶすことに。