2009年1月30日金曜日

EVERGREEN BOOKER T

 昨年末、お世話になっているサロンへおせち料理のおすそ分けをとどけた帰り道、立ち寄った中古レコード店で見かけた。
このレコードに入っているJamaica songが聴きたかった。

 初めてこの曲を聴いたのは10年以上前になる。UAがナビゲーターのJ-WAVEの番組、カピバラレストランのエンディング曲だった。
ギターのストリングから始まり、波の音、子どもたちの声、なんともピースフルな曲に一聴して大好きになった。
毎週この曲が聴ける番組も好きだった。ただ、エンディング曲なのでタイトルなどは不明だったけど、少ししてUAがこの曲のタイトルとアーティストを紹介。この曲についての想いも語ったはずだがそれは忘れた。
ただCDにはなっていない、その一言は心にのこっていて、レコード屋に行って思い出したら捜すことを繰り返していた。ジャケットやアルバム名が解らなかったのでいちいち曲名をしらみつぶしに。

 その日も忘れていた。ひとしきりレコードを捜した手を止め、入り口すぐの面出しの棚を何気なく見るとBOOKER Tの名前が目に入る。今まで見たことがないジャケットにもしやの気持ちが生まれ、裏面の曲名を見ると一曲目にあった。
これか!

 針を落としてみるとJamaica songだけではなく、EVERGREENというアルバムタイトル通り色あせることがない曲がつまっていた。
 素晴らしい名盤だと思う。

2009年1月29日木曜日

さよならの向こう側

何億光年 輝く星にも 寿命があると
教えてくれたのは あなたでした
季節ごとに咲く 一輪の花に 無限の命
知らせてくれたのも あなたでした

Last song for you, last song for you
約束なしの お別れです
Last song for you, last song for you
今度はいつとは言えません

あなたの燃える手 あなたの口づけ
あなたのぬくもり あなたのすべてを
きっと 私 忘れません
後姿 みないで下さい

Thank you for your kindness
Thank you for your tenderness
Thank you for your smile
Thank you for your love
Thank you for your everything

さよならのかわりに

眠れないほどに 思い惑う日々 熱い言葉で
支えてくれたのは あなたでした
時として一人 くじけそうになる 心に夢を
与えてくれたのも あなたでした

Last song for you, last song for you
涙をかくし お別れです
Last song for you, last song for you
いつものようにさり気なく

あなたの呼びかけ あなたの喝采
あなたのやさしさ あなたのすべてを
きっと 私 忘れません
後姿 みないでゆきます

Thank you for your kindness
Thank you for your tenderness
Thank you for your smile
Thank you for your love
Thank you for your everything

さよならのかわりに

さよならのかわりに

さよならのかわりに

作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童
 歌:山口百恵

  ***

 大好きな歌の一つ。

 さよならの向こう側には何があるのか。行ってみないと解らない。だから向こう側に来てみた。
 んー、なんかすがすがしい気がした。
 何とさよならしたのか…それはモバゲーに。そこで出逢った人たちに。

 およそ一年の書き込み期間。早かったなぁ。

 僕は積極的に友達を増やさなかったが、それでも自分とよく似た感覚の人が集まってきたのが不思議。類は友を呼ぶってリアルもバーチャルも関係ないのね。

 地域、年齢、職業、ホントに色んな人たちがいた。そして色んなことを気づかせてもらった。言葉…文字を交わしていくうちに素性も解らない人に恋情を抱いたり、その人のことを想うだけで涙が出る。そんな初めての経験もあり、痛みも傷つけてしまったことも。甘さも苦さも両方あった。

もう一つ気づいたのはモバゲー…モバゲータウンってSNSでもなくそれ自体がゲームなんだと感じた。

 人との繋がりの深さをや太さ求めてたわけではない。でも薄っぺらい付き合いでは個人的に納得しがたいような気持ちがある。
んー、ようは自分が錯覚しやすいっちゅうこっちゃね。

 始まりがあれば終わりがある。終わるからこそ新たに始めることが出来る。

 モバゲーで出逢ったみなさん、有難う。

2009年1月28日水曜日

ある意味大事な要素だが

 現実に触覚のような長く束になってるアホ毛は見たことない。←当然か!?(^_^;)

 アニメやギャルゲのキャラを考える時、アホ毛があるのかないのかの重要度は高し。あるなしで性格も決まってくると言い切ってもいいと思う。
リアルではどうなんだ。いうことをきかない毛がヒロ〜ンと出てる様はかわいいのか。萌要素になるのか。はたして束になり得るのか(しかも複数の場合あり)。

アニメキャラのほとんどは束だもんね。
そういや男キャラではいないのでは…あっ。悟空がアホ毛あんな〜。

 そんなアホ毛。仕事で使う刷毛の場合はすんごいイラつく。何より刷毛には萌えない。

2009年1月26日月曜日

鶴橋と四条にトリップ

 神保町の古書店街をあとにし、待ち合わせ場所へ。
今日の肉の会。一人はインフルエンザで欠席。一人は現地集合なので二人で向かう。

 場所は浅草。浅草はデザイナー時代の東京出張で、吾妻橋にあるフィリップ・スタルクがデザインのビルを見に来た以来。しかも滞在時間は十数分いただけだったと思うので、初めてと言ってもいいかと。そんな中、テレビでよく観る雷門のでっかい提灯が!一瞬でおのぼりさんになりケータイでパチリ。いや〜、すごいわ。両脇の仁王さんも迫力満点だった。その辺りを歩く雰囲気は、お土産屋さんが多いせいか京都の四条あたりを思い出させる。

 焼き肉屋の前に着いたら、もう一人が丁度向こうから歩いて来た。挨拶もそこそこに引き戸を開けて店内へ。
『うわ!鶴橋やん!』
なかなか文字では言い表しにくいその雰囲気。大阪の鶴橋ならこういうお店は沢山あろうが、東京では珍しいかも。ここは大阪か!?それほど大阪的な焼き肉屋の作りなのである。
予約していたので二階へ通される。

 僕以外は来たことがあり、ハラミを大絶賛しているので、タン塩、ホルモン盛り合わせ、ハラミ(タレ)、カクテキ、ユッケ、レバ刺し、もちろんビールを注文。乾杯後、七輪の上の網へタン塩から焼き始める。いやいやどうして。ハラミだけでなくタンもホルモンも美味いですぜ。
さて、ハラミ。これがステーキをザクザク切ったのか!?ってくらいにぶ厚く、肉を喰らってる〜という感じがしまくり。
 これはまじ美味い。
 日頃ベジタリアンな食生活が多いので、肉は積極的に摂取しない。そのせいか、いつにも増して味が濃い(辛いという意味ではない)。
お肉って、食べると脳内の分泌物によるのか幸せな気分になるのはなぜか。

……。

 予約の2時間はあっと言う間。2人は物足りないらしく、新宿のアイリッシュパブへ行くことに。これまた久しぶりのギネスビール。美味しい。

 お肉とお酒に大満足な1日。また、京都や大阪を思い出す郷愁を感じた1日でもあった。

 次回のツアーは鶏肉の予定だそうだ。

2009年1月25日日曜日

古本屋を巡りに来たが…

 4時半にJR神田駅で待ち合わせ。久しぶりに古書店街に行ってみよう、と散歩がてら神保町まで徒歩で向かう。一駅ぐらいかなぁと路傍の地図を頼りにだいたいの、都営神保町駅の方角へ歩き出す。

 方向音痴です。少し不安になりかけたところにセブンイレブンを発見。お手洗いも借りるついでに店員さんに訪ねると解らない様子。勝手に即答だろうと考えてたのでバックヤードから地図を持ってきてくれたのには申し訳ない気持ちと有り難い気持ちで一杯だった。
ここが駅だから、今はここで、右手に歩くと着きますよ。と目印のビルの名前まで教えてくれた。

 感謝。

おかげで着きました。しかし、大半の古書店が日曜休みだという事実を忘れていたのでシャッターを見物するはめに。
喫茶店さぼうるも休み。そんな中ぶらぶらしてると、フィギュアを使ってのボードゲームを扱ってる店が目にとまる。店内をしばらく眺めてると店員が声をかけてきた。
『ご存知ですか?』
「イエローサブマリンで見たことがはある」
『興味ありますか?』
「んー、フィギュアに色を塗るのが難しそうだ」
『いえ、これなんか10分位で塗ったやつですよ』
と、ゴブリンを渡された。
『実際に塗ってみますよ』
と、やりだしたらホントに塗れた。アーマーの銀と赤、肌の緑、そして墨入れ。墨入れが塗りっぱなしで、そのまま乾かすとコーティングの効果もある塗料に驚いた。てっきりペンか拭き取るのかと思ってたから。
『じゃあ、簡単にプレイしてみましょう』と、いうことで、ロード・オブ・ザ・リングの一場面、ドワーフの砦を抜けて、トロールがいる部屋を再現したスターターキットでバトル開始。いわゆる盤はあってもシュミレーションRPGのような将棋盤ではない。マジック・ザ・ギャザリングのように攻撃防御の解決法もいちいち複雑でなく簡単。しかもダイスの目のランダムさが面白い。
 今回僕は悪の軍側でゴブリン×3とトロール。店員さんがフロド側でフロドとアラゴルン。ダイスの出目が圧倒的によくて、アラゴルンをボコ殴りで勝利した。この時点で指輪がこちらに渡り、悪が支配する世界になり終了。
戦略性もあるし、ジオラマ感もあるので見てるだけで想像が膨らむ。コレクション性があるのがやばい。

でも楽しいわ。

ビッグイシューからのキーワード

木。森林。植林。
何をするか。何ができるか。

2009年1月23日金曜日

野菜鍋?

 朝からJ-WAVEを聴いていた。ジョン・カビラさんの雄叫びを堪能したあとに南美布嬢が登場。30秒ほどのクロストークで耳も気持ちも少しクールダウンする。
 PARADISO。おもに、女性の 女性による 女性のための番組だと思う。番組の中で京野菜を扱うお店のシェフを取り上げ、二品ほどレシピを紹介。『少量の油で野菜をコーティングし、旨味を閉じ込める』とか、『野菜スープですね。オリーブオイルを入れるとイタリアン、ごま油だと中華、味噌だと和。でも、なんにも入れないで野菜の旨味だけを味わうのが一番いいですね。』
 それを聴いて無性に野菜スープが食べたくなり今夜の献立が決まる。京野菜はなかなか手入らないし、そこまでこだわる気持ちもないので雑誌Tarzanに載っていたスープの具材を参考にする。

 ブロッコリー、人参、玉ねぎ、トマト、里芋。

 トマト、ブロッコリーはあとから入れた方が色も綺麗だし、煮崩れもしないんだろうけど、まとめて煮た。
途中の味見ではトマトの酸味がほどよく出ていて、なるほど、こんな感じだと確かに調味料はいらないかも。まぁでも、少量の塩と醤油はいれようと思い、塩はひとつまみを数回に分けて入れ、醤油で少しの色づけと味を整える。共に小さじ半分くらいかなぁ。
 これは美味しく、しかもたっぷりの野菜がとれて大満足。他のおかずは作り置きの切り干し大根、お土産で戴いたごぼうのたまり漬けと納豆。
 食べていてとても気持ちよい食事でした。

 ごちそうさま。

路上にて

 ・THE BIG ISSUE JAPAN

 月に2回、1日と15日に発売される雑誌。とはいっても書店では売っていないので知らない人はかなり多いと思う。
ではどのように出回ってるのかというと街頭での手売り。ただし販売出来る人はホームレスに限られる。

 これはホームレスを自立、支援するための雑誌。もとはイギリスの雑誌。売れると本体価格300円のうち、160円が販売者個人の収入になる。その収入で社会復帰を目指す。

 4口5年前、ワールド・ビジネス・サテライトというニュース番組(僕はこの番組と故筑紫哲也氏の多事争論しか"ニュース"と言えないと思う)で知る。
 当時、友達が新宿で働いていたので早速、
『新宿の西出口あたりでホームレスが売ってる本を買って欲しいんやけど。どの号でもいい。』
と頼んだ。
以来、自分も新宿に行って販売者が目にとまればちょくちょく買ってた。
 さて。この号は新宿で購入したのではない。となり町の駅前だ。最近は新宿にも足が遠のいていたので、この雑誌も忘れかけていた。そんな時に出会えた。ただ、久しぶりに買えた喜びよりも、この街に住んでから目につかなかった、いや、隣町とはいえ地元にホームレスはいないと思ってたので、え!?マジで!?と驚いた気持ちが強かった。
 不景気、ネットカフェ難民、日雇い派遣や就職氷河期なんて言葉が浮かぶ。夕方のニュースとは名ばかりの、演出された番組が取り上げるだけじゃなく現実にあるんや。こんなベッドタウンまでその波が来てる。対岸の火事ではない。自分も怪我や病気がキッカケで何時そうなるか…といった危機感を改めて感じた。
 改めてというのは、僕も生活保護を申請したいと市役所へ行ったことがある。しかし、終始、親や兄弟に相談してもらえないかという対応。身内に相談出来ないからここに来たんだが、と言っても進展しない。話を聴く姿勢はとっているが門前払いしたい態度がみえてる。あの時期は家賃も払えず経済的にも肉体的にも精神的にも困窮していた。そんな、一歩間違えばホームレスになっていたかもしれない自分がいた。

 今回出逢った販売者は若かった。35口45歳だろうか。少し訛りがあるからどこからかここにたどり着いたのだろうか。
ただ、ホームレス全員がこの雑誌で生計をたててるわけではない。やはり人との付き合いが苦手だったり、恥ずかしさ、負けてしまったなんとも言えない後ろめたさなんかもあるだろう。でも、資源ゴミや燃えないゴミの日に空き缶などを集めて生計をたててる人よりは、街頭に立って積極的にモノを売ろうとする人からは買いたい。自身が売った本の利益で社会復帰を目指す。前向きさ、自立心、現状を打破したい気持ちを持ってる人は好きだから。自分もつらい時期があったからこそ応援したい。

植物+動物=森

 今日は昨日に続いて休み。昨晩のうちに決まった。親方の英断。

 いつもより少し遅めに、しかし、目覚ましよりも10分早く目が覚める。しばらく寝床から出なかったが、7時前に起き上がり朝食を。初めて買った、胡麻がたっぷり入った食パンがおいしい。
昼から晴れ間が広がりあったかくなる予報。出かけるにしてもそれまでは活字を読むか。と、あまり読まないで放置していたビッグイシュー日本版を手に取る。
熊の棲める森を守る団体、日本熊森協会の記事にいたく共感。開発という国策のもと、山を荒らしまくった挙げ句に放置。生態系を壊し、山から里に下りてきた動物たちに農作物を食べられる農家も、その国策の二次被害者。熊が棲めない森にしたのは人間。今、壊されようとしている森を買い取っている協会。
とても素敵だ。

 早速ケータイからアクセスするも、やはりモバイルの容量と画面の小ささに若干のストレスを感じる。早くパソを買おうという気持ちが高まる。パソ貯金を早急にせねば!

 11時。晴れてきた。雨上がりを楽しみますか!

2009年1月22日木曜日

突然の休みの日

 昨日、親方が言った。
『明日は雨なら仕事は休み。そうだなぁ、休みの時は朝、こっちから電話するわ。なかったら出勤してきて』と。

 そんな、小学校の遠足のような朝を迎えて、カーテンから覗くとミストのような、雨のような。なんとも言えない天気に、朝食をとりながら電話を待つことに。

かかってきた。

その時点で今日の休みが決定。正月休みもあったし、休んだ分給料に反映されるが、やはり休みは嬉しい。

 さて。何をしようかと考えるもこの天気。外に出るのも億劫。やめば買い物ついでに出かけよう。ひとまず読みかけの本を手に取り、様子を見ることに。

 昼過ぎ。変わらない空模様。いや、朝より粒が大きくなってるような。まぁ、いっか。どうせ風呂に行くし、本屋に行って、その時間までリトルスターでコーヒーを飲もう。と、いそいそと家を出る。

 書店にて。書店員だったので極力店員には聴きたくない。自分で捜す。見つけ出したい。たとえ目的買いでも。オバマ演説集と、たすくさんのコラムにあった近田春夫の本。さすがにオバマ本は目につく書店の導入部で面出しになってた。エスカレーターをのぼるとすぐに発見。もう一冊。国書刊行会だ。そもそも仕入れてるのか?
 まずは文芸の棚。あいうえお順になってるので"ち"の所…ない。音楽の人だからそっち系か?と移動する…ない。検索機に頼ると在庫あり。親切に棚の場所まで表示。負けた思いでそこの棚を見るとありました。書評のような棚だった。

 欲しいものも買えたので、晩飯の野菜と、こちらもついでにケータイショップで料金プランの見直しも済ませ、最終目的地のレストランに着いた。間に合えばランチを狙ってたが終了してたので、コーヒーと米ぬかのスコーンを注文。サーブされる間の時間もユッタリズム。
 昨日の心身ともに疲れた身体に、コーヒーのいい香り包まれてかなりリラックス。このお店は大好き。今は貸し切り状態。こういうレストランが地元にあるって幸せだと思う。

 突然の休みって結構好き。前もっての計画段階もワクワクするけどね。

 今日はいい1日でした。
 ありがとう。

J-WVE BOOM TOWN

映像ディレクター、丹下紘希さんの一言。
 
 
 道端の小石を美しいと思う心

YES WE CAN

・change

今更だがオバマ氏が大統領になる前の演説でのキーワード。

自分も、変わるところ、変わらなければいけないところ、変わってはいけないところを見極める一年にしようと思う。

2009年1月20日火曜日

2009年1月19日月曜日

あったかいなぁ

 つか、日差しがあると暑かった。
 J-WAVEの天気予報の では、桜が咲く頃の陽気と言っていた。梅を通り越して桜の咲く…あ!試験が終わった翌日に"桜咲く"って。そういうことか!でそんなことを言わせるとは、神様の粋な計らいでしょうか。
 
 とはいってもまだ1月。しかも明日は大寒。さっきの天気予報では、昼間でも気温はといってた。この温度差では応えそうだ。注意しないと。
 
 そんなうららかな日の仕事終わりに空を見上げると、なんだか明日も楽しくなりそうだなぁと、無条件で思えるような夕暮れだった。
 
BGMは、"UA 雲がちぎれる時"

障害者のための パソコンによる文字入力が 予測変換機能でスムースに出来るようなソフトウェアを考える。作成する。販売する。

2009年1月18日日曜日

ハマった(^_^;)

・蒙古ラーメン 中本
 
 何故、刺激は病みつきになるのか。
いや、このラーメンは辛いだけでなく、ちゃんと美味しさがあるからか。
 辛いものは好き。韓国へ2週間の出張の時も、食べ物には全く困らず、いや、辛さで3日目にお腹をこわしたが、それでも日本食か恋しい、梅干しや味噌汁が食べたいなど思わず、毎日のキムチが楽しみで、バクバク食べていた。
 辛いのが得意という中で、守り続けていることがある。それは、途中で水を飲まないこと。なぜなら、辛さがリセットされて、次の一口がより辛く感じるから。そんなちっぽけなプライドを嘲るがごとく、初めて食べた蒙古味噌タンメンは、僕に水をのませたのである。
 
 店の前、中にもテレビで取り上げられた模様をコピーしたテント、ポスターが貼られている。ラーメンの中ではかなり異色な部類に入るであろうから、バラエティ番組に取り上げられるのも納得。
 食べるのは今回で5~6回目になるだろうか。この辛さはやばい。とは言っても、蒙古味噌タンメンは辛さを表す炎のマークでいえば3炎。まだ上には5炎の北極がある。
いずれは体調を万全にして挑みたい。

J-WAVEから

ポセイドン アドベンチャー (72年制作のものがいいかも)
 
倉木麻衣が紹介していたDVD

両親に 夏は涼しく 冬は暖かい 断熱材を完備した家をプレゼントする
〔マツミハウジングか旭化成ヘーベルハウスに注文〕

2009年1月17日土曜日

1995年1月17日

 14年前の今日 地震がありました。
 
阪神 淡路大震災。
 
 当時 東京にきて丸一年を迎えようとした頃。テレビがなかったので 出勤した会社で知った。
 みんなが休憩所のテレビの前に集まってる。何ごとかと思い テレビを覗き込んで 映し出されてる映像にびっくり。
 
火事による幾筋もの黒煙
切断して倒れた阪神高速 そこに引っかかる車
倒れたビルが道をふさいでる
一階がない二階建て 瓦礫の上に ポンと 屋根だけ置かれたような家屋
 
 信じられない映像のオンパレードだった。
すぐさま 実家と友達に電話した。
ともに大阪だったため 幸いにも揺れは小さかったとのこと。友達は自宅待機の指示が出たと言っていた。
 
 兵庫県出身の同僚がいた。親戚が 一番太い黒煙が立ち上っていた 長田区にいると言った。およそ600km離れた地続きのこととは なかなか思えなかった。
 とはいえ、あれから14年。1年 3年 5年くらいまでは 600km離れた東京でも 特集を組まれたりしていたが 今年はそれまで以上に そうでもないと感じる。
 そんな中 NHKスペシャルを観て 災害エスノグラフィという言葉を知る。
 …民族誌とあります。
なんでも 30年間非公開という約束で 公務員などが 当時 想いを綴った記録のこと。今回 その一部が関係者の了承を得て 公開された。
 
 全く知らない いや 伝わってこなかった事実があった。水不足の中 最前線で消化活動をしていたが 消化か救助の選択を迫られる消防士 遺体安置所とされた体育館に 足を踏み入れた市役所職員の苦悩 配給時の人間のエゴや 避難所での一触即発の緊迫化。
 誰しもが被災者にはなりたくないが 誰しもが その可能性はある。
 話は少しそれるが 昨日 ニューヨークで 離陸直後にバードストライクによるエンジントラブルになり ハドソン川に不時着水する事故が起こった。この時の乗客のインタヴューで みんな 我先にとなった その時は怖かった と言っていた日本人男性。
 危機的な状況が そうさせてしまうんだと思うが そんな時だからこそ 落ち着いて 老人や子どもを優先させる 譲り合ったり 信頼しあう気持ちが大切なのでは
 
 今 カードゲームを用いて そういう危機的状況下での 判断の優先順位を ロールプレイのように ディスカッションするための場が 市民にももうけられているようだ。
そうすることで 相手の立場も想像でき また その時に判断を誤らないための シュミレートが出来る。やってみたいなぁ。
はたして 防災袋さえ用意していない僕は きちんとした判断が出来るのだろうか…。

2009年1月16日金曜日

BRIGITTE FONTAINE

・BRIGITTE FONTAINE
 
 これは凄いなぁ。
BRIGITTE FONTAINEの代表的な一枚と言えば"ラジオのように"を挙げる人も多いだろう。表題曲はたくさんのアーティストにもカヴァーされ、耳馴染みもある。僕もその一枚しか聴いたことがなかったが、たった今から、BRIGITTE FONTAINEと言えばどのアルバム?と問われれば、3rdアルバムになるこの一枚を挙げる。
 憶測だけど、スタジオライヴ一発録りだと思う。そう感じる。
 
 当時、本国フランスではかなり異端児として扱われたんじゃないかと思うほどのアヴァンギャルドさ。シャンソンと言えばシャンソンだし、ジャズと言えばジャズ。
 しかし、そんなカテゴライズはどうでもよくなるくらい。あえてジャンルにしばるなら"BRIGITTE FONTAINE"というジャンルだろう。
 
 この人については勉強不足で、日本盤のライナーノーツを読む限りだが、モダン・ジャズ・カルテットを聴いて衝撃を受け、大学をやめるようになったとある。そこから歌手や劇団員としての道を歩んだようだ。ほとんど独学だと思う。詞も、かなりぶっ飛んでるシュールなものもあるし、かと思えばエロスも革命的なものもある。

 不思議なシャンソン歌手だ。
 

時間と想いのタイムラグ

 1月も中日を過ぎた。
1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。
1月もあっという間に行きそうだ。つか、行ってる。どこかに記憶を置き忘れてきたような速さで過ぎるだろう、この3ヶ月。焦っても始まらないが、なんとなく過ごしてしもてるちゃうやろか…と余計に考えてしまう。
 
 神社のおみくじでは"辛抱と我慢"。カバラでは"1人の時間を持つ。しゃべること"。そんなようなことを。ブログもいいみたいなので、新たに始めたり。でも、なんか物足りなさを感じつつ。
引っ越しもしたくなったり、天職と云われるものも捜したいし。それでも時の過ぎ行くスピードに圧倒されたり。
 
 おみくじの通り、急いては事をしそんじる。こんな気持ちの時こそボチボチ行かんとなあ。

2009年1月15日木曜日

今は昔

 今朝の天気予報。
めざましテレビの皆籐愛子嬢が言うことには、北風が強く、体感温度は氷点下!とのこと。
ふむ。伝えてる愛ちゃんもフジテレビの屋上で、北風にあおられながらの中継だ。これは寒い1日になるだろう。と、きのうにもまして気合いを入れ出勤。
 
 現場に向かう道すがら車を止める親方。
『ちょっと待ってて』と材料屋に向かった。
〔なんか足らんものあったかな?〕
と考えてると戻ってきました。
『はい、コレ。』
と、手渡されました。見ると"ヤッケ"。
『これは風を通さないから暖かいよ。』
 
これでもセーターを二枚着てんですよ。と言いながらも、親方の心使いにあったかくなりました。
 
 現場着。
早速"ヤッケ"に袖を通す。ペラッペラのわりにあったかい。ふ~ん。不思議。
 
 親方、ありがとうございます。これで冬の外部もへいちゃらですよ。
 
でも、今日の寒さは昨日よりましに感じます。
 
 
*ところでヤッケって何?何語?
と疑問がわいたのでケータイでサーチ。
するとドイツ語からきてると判明。え!?そうなの!?とサーチを続けると由来があったので以下にコピペ。
 
 
ヤッケ (jacket) ※ドイツ語の"Jacke"より。今では英語の「ジャケット」が定着しているので昭和初期生まれの人以外はあまり使わない。化繊製の物やスキーウェアの上衣について言う程度。
 
へぇ~。そうなんだ。今ではウインドブレーカーといいものと同じと考えていいようだ。
 
 ウインドブレーカーで思い出した。
小6か中1の時に周りでウインドブレーカーが大流行。しかもadidas。おかんに言って買ってきてもらったヤツの胸のロゴにはadidasではなくaddress。パチモンだ。着ても寒かったしカッコ悪いしですぐに着なくなったのは言うまでもない。
 
 
で、サーチしている時に頻繁に目にしたのがある曲のタイトル。
BGMは高石ともやとザ・ナターシャーセブンの想い出の赤いヤッケ♪
 
高石ともやは受験生ブルースしか聴いたことがないので、歌詞を読んでみます。
 
 
高石友也 作詞/採譜
いつの日にか 君にあえると
きっときっと信じてた
けどもう やめたやめた
白い雲と 青い空と
赤いヤッケと あの娘と
今のゲレンデは 想い出だけ
君のかげさえも 今はもう見えず
いついつまでも ぼくの胸に
きっときっと想い出す
けどもうあえぬ
 
 
すっぱりあきらめたようでも、やっぱり想い出す。
未だ心に想いの炎がくすぶってるようだ。
男の思考だ。
 

2009年1月14日水曜日

冬晴れ!

 今日は外部を塗りに来てます。

外をやるには、申し分ない日差しと風の無い、いい天気。
 
 現場は平屋。
屋根、壁を全部塗ります。
今日は初日なので、まず下地処理。
トタン屋根のゴミや錆を取ります。
 
 天気予報では、相変わらず寒い1日と言ってたので、セーターと靴下は二枚重ねでフリースを着込み、襟元もタオルで外気をシャットアウト。ポケットにはカイロをしのばせ、どっからでもかかってこんかぁ〜い。的に防備。
 
それがこの日差しでは裏目にでて、10時には汗が…。
冬とはいえ、日差しの中で動くと暑い。ただ、午後からは日陰での作業になるので、この温度差がたまりません。
 
 
 写真は屋根からの一枚。目の前を中央線が走ってます。
〔BGMは矢野顕子の中央線♪〕
 

2009年1月13日火曜日

Hoping For The Sun

kool jazz productions DJ TAKEMURA
 
 このレコードは欲しかった!一度聴いたっきりで、手に入んないと思ってた。
ちょうど取り寄せていたレコード針が届いて、交換した一枚目に選んで針を置きました。
 改めてoriginal mixを聴くと、粗削りな印象を受けた。んー、それは何年後かにちがうmixを出したりしての発展系を聴いてるからかもしれない。
それはそれとしても、当時この音楽を聴いた印象は忘れない。
 
 もし、今発売されて、今の流通(横流し含む)なら簡単に手に入れられるかもだが、15年前はちょっと様相が違ったと思う。しかもロンドンのクラブチャートでのランクイン。日本よりイギリスでの流通量が多いはずで、kool jazz productionsが大阪を拠点に活動していた意味から、国内で持っているのはおそらく関西のクラブDJが主だっただろう。
 
 今となってはどういう経路できたかはどうでもいい。手元にあるんだから。
最高に嬉しい。
火事の時に持ち出す一枚です。
 
 
 簡単に説明。
現在、音楽家 竹村延和として知られるデヴューシングルと言える。
川崎燎、WELDON IRVINE、TOM JOBINなどをサンプリング、コラージュした、色褪せることがない永遠の曲。
 
 当時、クラブでのジャズナイトが定期的に行われ、京都には沖野兄弟率いるKYOTO JAZZ MASSIVE、神戸にはDJ MATSUOKA率いるMODERN CONCEPTION、大阪にはDJ TAKEMURA率いるkool jazz productionsが、それぞれの都市のクラブジャズシーンを牽引していた。
 
 そして、アシッドジャズという言葉が世界規模で席巻し、ジャミロクワイやインコグニート、日本ではユナイテッド・フューチャー・オーガナイゼーションがクラブ系雑誌の表紙を飾る少し前。kool jazz productionsがロンドンでデヴュー。現在なら海外から逆輸入も普通に考えられますが、当時はかなり冒険だったようにも思います。
しかし、時代を観る目と、日本の音楽業界の閉塞感に嫌気をさしていた竹村さんにとっては、いたって当然の行動だったと感じます。
 そのせいか現在でも、日本より海外にコアなファンがいると思います。ご本人もドイツ在住みたいだし。