2009年5月31日日曜日

STOCKHAUSEN:ELECTRONIC MUSIC SONG OF THE YOUTHS・CONTACT

 今までも、時おり名前は目にしていたが、買うのも聴くのは初めて。値札の下に
〔盤にキズは多いが「少年の歌 コンタクテ」が入ってるので、入門編にはピッタリ〕
と、コメントがあり、20%の決算割引(3月末)もあったので、全然買うつもりはなかったがレジへ向かう。

   ***

 おもしろいなぁ。
 もっと普通にクラシックなピコピコしたものかと思ってたら全然違った。
 少年の歌ってあるからブルガリアンヴォイスみたいな感じかと思ってたら、これも違った。
 んー、実際歌わせてるんだろうけど、一つの言葉、単語にもイントネーションがあって、そこには音程がある。これを一語一語分解してコラージュし、言葉の意味はないがメロディーを作ってる。ように聴こえる。
 今Wikipediaをチラッと見てみたら、工程はみえなかったが、少年(たち?)を二年間スタジオに通わせたとあった。
 今ならPCモニター上で簡単だろうけど、おそろしいほどの手間ひまがかかってる。

 コメント通りキズが多く、スクラッチノイズがかなり耳障りに感じた。
 機会があればCDで聴いてみたい。

VOICES AND INSTRUMENTS Jan Steele/John Cage

 A面がJAN STEELE、B面がJOHN CAGEの二部構成。
 CDとは違って、こういう風に一枚でカラーを変えられるのもレコードのいいところだと感じます。

 トータルで美しいの一言。
 A面一曲目からもっていかれた。こんこんと湧き出る石清水のような透明感と冷たさを持った歌声に。
 しかし、圧巻はB面のExperiences No.2。アカペラで歌うRobert Wyattの歌声。これほど聴く者のイマジネーションをかき立てる歌声はない。
 朝靄がかかる森の中。頬を撫でるやわらかな風が歌うとしたらこんな歌だと想う。
 今まで聴いてきたRobert Wyattの中でもぐんをぬいて素晴らしい。大好きになった。
 この曲はフォークロアとして口承していくべき文化資産に認定します(*^_^*)

 僕はCAGE信者ではないけど、収録されている曲は大変美しいと感じた。

 普段は気にならないスクラッチノイズが、とても残念に思えた一枚です。75年だもんなぁ。

   ***

 昨日、ネトカフェの帰りに何気なく立ち寄ったディスクユニオンで買いました。探していたものと偶然出逢える。いや、必然なんだよな。昼間のヤなことが吹き飛ぶ素晴らしい出逢いでした。

 これも火事の時に持って出る一枚になりました。

2009年5月29日金曜日

夢助 忌野清志郎

 初めて聴いた時、一曲目から思ったのが「声が変」ってこと。かなり調子悪いようだが、こんな声の時に録音せんでもええのに。と思った。なので、当時は殆ど聴かず、その前のKINGやGODをよく聴いた。

 喉頭ガンの一報が届いたのはそれから少しして。声の調子がよくなかったと感じた原因が解った時でもある。
 旧譜を聴きつつ夢助もプレイヤーに入れているうちに、だんだんコッチがよくなってきた。声の感じは置いといて、なんとものびのびとした、ユッタリズムな風景が浮かぶ。例えるならメンフィスの綿花畑。
 面と向かって言葉にすると恥ずかしいけれど、ブ厚いラブソングやダンスナンバーにリピートリピートの日が続いた。ずーっとプレイヤーに入っていた。

 忌野清志郎名義のラストアルバムになってしまった。

 Oh 何度でも 夢を見せてやる

 ええ。これからも何度も何度も夢を見させて下さい。この世界が平和だったころの夢を。

 最後に帯のコピーを。

夢は何度でも見られる。君がそう願うなら。GODからDREAMERへ。夢と勇気を歌った本当のラブソング。ロック史上に刻まれる夢と勇気に満ちた最高傑作!

2009年5月28日木曜日

あの日あの時あの場所で

 勝手に読者になってるブログにこんなことが書いてありました。


ドイツでは音楽教育は早く技術を習得するよりも楽しむことを重点に置く先生が多いように思う。

そのためか、正当派のクラシック音楽レッスンを受ける子は割に少なく、特にピアノでは最初からポピュラー音楽を取り入れることが多い。まあ、これは日本も最近はそうなのかな?

 中略

小さい頃クラシックで音楽を始めた子どもには、そのままずっとクラシックで進んで音大に行くような子も入れば、成長の過程で別の形に出会ってそちらの方向に進む子もいるだろう。嫌々習っていたのでそのうちやめてしまって、音楽とは全くの無縁になるという子も中にはいるかもしれないけれど、私の想像ではそれは少数で、自分で演奏をしなかったとしてもなんらかのかたちで音楽と係っていくのではないかと思う。

 後略


 これはほとんどの人にいえることではないだろうか。

 僕自身も紆余曲折しながら(現在進行形だが)いろんな局面で、あの時のあの事が今役立ってると思ったことが多々る。

 んー、結局のところスッパリと自分に踏ん切りと言うか、決別が出来ていないため、時間や場所を超えて引き寄せるんじゃないだろうか。

 ちょっと後ろ向きかもしれないけど、そんな場面に出くわすとこんな風に言われてるように感じる。

 「おい、あの時投げっぱなしにしていることに未練はないのか!?おざなりに生きてないか!?」

 いててて。耳が痛い。

 そのブログに、このアドレスが貼ってあったので飛んでみた。
 中学の頃の件を読んで、清志郎と先生の関係みたいだなぁと思った。


http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/sera/sera01/


 20年前に想像していた自分とは、かなりかけ離れた場所にいる。これからも僕の人生にアニメはついてまわるんだろうか。←こんなことを思ってる時点で引き寄せるわなー(^。^;)

2009年5月27日水曜日

お酒 なんよね?

 東京で初めてみりんを買いました。

 そのみりんを使って、えのきの佃煮を作りました。
 新たな常備菜がレパートリーに加わる。

 ん口、簡単。

 セロリ。ぬか床がないのでお漬け物には出来ず。
 なので、シナモンやクローブを入れてピクルスにしてみました。

 ぬか漬けは10年ほど前から考えてるんやけど、いかんせん、夏場の室温が30℃オーバーの風呂なしアパート。普通の冷蔵庫では冷えすぎるし、キムチ用の冷蔵庫も結構高くて手が出ません。
 もうちょい様子みます。

 豆腐のぬか漬け、んまいらしいね。食べたことある?

2009年5月24日日曜日

大好き!セロリ

 昔から苦手ではなかったけど、最近は目についたら買ってしまう。
 こないだ作った、かぶとトマトのスープにも入れたり。生でも火を入れてもオッケー。
 今回は生でいただきます。一日一本食べれます(o^∀^o)


 もし、パートナーが苦手だったら。
 そうねぇ。関係なく僕は食べるだろうし、美味しさをわかってもらう努力はすると思う。
まー、育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないよねぇ。

 BGM  セロリ 山崎まさよし

納棺夫日記 青木新門

 日本では古来より死、死体は穢れ、不浄のものとされている。
 「おくりびと」は観ていない。ドキュメンタリーではないから、綺麗に撮られているんだろう。

 この本、前半は仕事を通しての想い。後半は親鸞を引用しつつの死生観。なので前半に絞る。

 助産婦さんはメディアに取り上げられても、納棺をする人は忌み嫌われるんだなぁ。どちらも命に携わる仕事なのに。
 そんな日陰者の印象をより強くするかのように、曇天で寒く、雪景色が多い。

 大きく印象に残ったのが3つある。
 一人暮らしの老人の孤独死で、死後何ヶ月も発見されず、死体にたかる蛆をみて、蛆も精一杯生きていると悟ったこと。
 昔は細く黒く、枯れ枝のように死んでいったのが、最近は白くムチムチしているというくだり。
 死に場所が、自宅ではなく病院になったということ。

 うまくは言えないが、10年後読み返すと、また違った印象があるんだろうと感じる。

 自宅の、自室の天井を見ながら、家族に看取られながら僕は死にたいなぁと想った。


   ***

 この世に生を受けたモノは遅かれ早かれ必ず死ぬ。80で逝く人もいれば、生後1ヶ月で逝く人。哀しい、赦しがたい事件や事故で逝ってしまう人もいる。それが遅いのか早いのか、突然なのかは解らない。
 例えば。東京から大阪までという目的地があるにせよ、交通手段は様々。新幹線を利用する人もいれば、自転車で向かう人。アメリカ大陸からユーラシア大陸、そして本州へ渡り向かう人もいるかもしれない。速い人もいりゃゆっくりの人がいるように。

 みんな等しく何かしらのメッセんジャーとして生まれてきてるんだと想う。
 遺されたものを、ワンランク上の人間にするための試練のような、そんなメッセージもあるのではないか。メッセージを伝えおえたら現世での役目は終わり、あの世で魂の修行を続ける。そんな話を以前、髪を切られながらサロンで聴いたり話したりした。

 いつ死ぬか解らない。だからこそ一日一日を大切に、精一杯悔いのないように生きたい。
 危機感ではないが、人生80年として折り返し地点を過ぎた今。今さらながら強く想った瞬間だった。

2009年5月22日金曜日

RHAPSODY NAKED RC SUCCESSION,B-ethics 金子マリ,MUSICISMAGIC Leyona

 似てると思うんだ。金子マリとLeyonaの声。(スピーカーが一組みしかないので、CDを入れ替えて聴き比べる)
 ほらー、やっぱり似てる。ように聴こえる(^_^;)

 この二人には共通点がある。金子マリはRC時代、Leyonaはソロと、時期は違うが共に忌野清志郎のコーラスを担当したり、持ち歌を歌ったりして、ツアーで全国をまわっていた。

 4年ほど前。RHAPSODYの完全版が発売された。その中で度肝をぬかれたのは清志郎のパフォーマンスではなく、即興で歌う金子マリだった。この瞬間、メインの清志郎を食っていた。
 当時はライヴ盤すら冒険。しかも2枚組なんて発売される訳もなく、たった8曲のみに編集されてリリース。
 それから25年たって、清志郎の秘蔵っ子としてのLeyonaがいる。清志郎の好きな声質なんだろなぁと感じる。ひょっとしたら、40年代50年代のソウルシンガーにこんな声の持ち主がいるのかもしれない。そんなことも頭をよぎったりした。

 今回のLeyonaのアルバムは、敬愛するミュージシャンの全編カヴァーアルバム。もちろん清志郎のナンバーも入っている。偶然にもこれが追悼のアルバムになってしまった。

 1曲目、書き下ろしの新曲が収録されてるが、これはいい曲だ。
 夜明け前の、これから新たな一日が始まる、胸をはって進む力強さを感じる。これも偶然か、清志郎がいない今聴くと、Leyonaの心境そのままに聴こえる。

 忌野清志郎がいなくなり、自分を見失っている人もたくさんいるだろうが、そんな時は見上げよう。大空に瞬く、一際大きなひとつぶの星が教えてくれるはずだ。

キターーーー! (織田裕二)

 インフルエンザ。

 さほど驚いてもいないし、困惑もしていない。小さい島国だし、人は流れてるわけだから、くい止めるほうが不可能といえよう。

 しかし、過敏になりすぎじゃないのか。先日の洗足高校も、幼稚園から大学までの休校に追いやったのは、周りからの苦情ではないのか。

 模擬国連に出るための渡航。この判断は間違いではないと思うし、生徒を含めて、万全の予防をしての渡米〜帰国だったのだから。

 本来問われるべきは、簡易検査をすり抜けて、水際で食い止められなかった国ではないのか。

 入院中の生徒からの謝罪の言葉を校長が伝える。生徒に、そこまで言わせてしまう世論に疑問を感じた。

 マスク?してないなぁ。マスクって、相手のことを思ってするもんであって、花粉症のような予防のためにはならないようだし。
 自己防衛手段として有効なのはうがいと手洗い。外出しないことが一番いいのは、みんな知ってますがね。

2009年5月18日月曜日

来るか!?

 マスク、買ってみました。

 しかし売ってない。どれも、どこも売り切れ。ちなみに武蔵境駅前。
 じゃ、買ったって何を?ってとこですね。
 明らかに売れ残ってる、ギャルをターゲットにした"デコ入りマスク"と言うマスク。
キラキラストーンやレース柄シール入り(;゜д ゜)色は紫(^_^;)形はキャシャーンタイプ。

 三輪さん曰わく、紫は高貴な色なので、「あらぁ、素敵じゃない。ほほほほ」と言われそうなのが救いです←救いなの?

 マスクを使うときは貼りませんがね、ストーンやレースは(ΘдΘ)
ケータイに貼ってデコ電にしようかしらん。

 今回のインフルエンザ。ジジババのお年寄りには感染しない傾向がある。そんな仮説がありますな。確かに高校生が多いし。そのうち、おっさんやおばはんだけが感染するウィルスとか、どんどん細分化されるんだろうか。

 東京にくるのも時間の問題か…

2009年5月17日日曜日

失わはれる物語  乙一

 なかなか書けないでいる読書感想文。


 大阪の紀伊國屋書店で購入。

 ペンネーム、中田永一がスタンドだとすれば、こちらが本体。(リスペクト・ジョジョの奇妙な冒険)
 短編集。よくよくこの人の略歴をみると、ジャンプノベル出身だとか。
 んー。それで「百瀬」の評価で、こういう作品も書けるんだ。っていう意見があるのが合点がいった。
 これに収録されてるのも、角川スニーカーが初出なので、どれもラノベになるだろう。
 差別するわけではないが、純文学とはいえない所が多々あると感じる。キャラデで作品の半分以上の魅力を占めたり、また行間とかね。
 そんな(勝手な)印象通りの作品が並ぶ中で、表題作の「失はれる物語」は感動。

 僕は音楽が好き。いつ頃からか、歌でもメロディーでもなく、グルーヴを感じるようにしている。 どんな音楽にもそれはあると思うんだが、クラシックを表現する言葉には「色彩」がよく登場する。
 今まで幾度となくクラシックにチャレンジしてきたが、グルーヴや色彩を感じるに至っていない。
この作品を読んで、ひょっとしたら余計な感覚が邪魔をしているのでは…なんて思ったりした。
 目で見えるもの、耳で聴こえるものが全てじゃないって思ってはいるんだけどねー。


 結末。僕ならどうするかなぁ。

明日は我が身だが

 最寄りの駅が二つあります。三鷹と武蔵境。
 ただ、生活雑貨や無農薬の食材を買うのはもっぱら吉祥寺。三鷹の自然食品のお店は日曜が定休日。平日の仕事が何時に終わるか不規則なので、思うように行けないし、やっぱしんどい。
 それでも生鮮食品のまとめ買いも限度があるので、キーになる食材以外はイトーヨーカ堂で購入してます。

 その武蔵境で定期的に買うようにしているのが、販売員の手売りによる「ビッグイシュージャパン」ですが、この二ヶ月あまり買えませんでした。
 販売員がいなくなったのです。

 どうしたんやろなー。まさか武蔵野市から閉め出されたんやろか。それとも、この生活から脱却できたんなら素晴らしいことだが。
 色んな思いを抱きながら、ヨーカ堂に行く度に駅前を覗く日々でしたが、今日、立っていました。
 ん?でも体格が違うなー。前の人は結構大柄でガッチリしていたが、今、遠目に見える人は標準的な感じ。
近づいてみると、やはり違う。

「一部下さい」
「ありがとうございます」
「バックナンバーはありますか?」
「前号のしかないんです」

 以前、こに立っていた販売員を知っているかと聴いたら、前々から体調はよくなかったのが、最近ひどくなったとのこと。

「ひと月半ほどみかけてなかったんで、どうしてるかなぁと思ってたんです」
「あぁ、膝がおもわしくないようです」

 定住場所がないホームレスでも、希望を失っているホープレスでない人は好きだ。しかし、働いた分だけ収入に反映される今、働けないのは死活問題。

 人のことはいえない。
僕も仕事は変わったが、給料体系は変わらず完全出来高制と言える。
 怪我、事故もなく、大病もせず働けている現実に毎日感謝している。 

 今日会った販売員も、ホコリと日焼けとで浅黒いせいで、白眼と歯がより白く見えた。その目はまっすぐ僕の目を見て、その口から出る言葉はハキハキと力強かった。

 早くこの場所から立ち去ってもらうために、今の生活から抜け出せる手助けが出来るならばと、再来週も買いたいと思う。

2009年5月10日日曜日

忌野清志郎 青山ロックンロールショー 続き

 「ゴキゲンだぜ!ベイベー!」

 会場の横。アナウンスと清志郎の声が切れ切れに聴こえる。ウサギが見えた。一気に楽しくなってきた。


 「今日も俺んちだと思って最後まで楽しんでってくれ。頼むぜ!」

 「本日は、忌野清志郎 青山ロックンロールショーにおいで下さいまして誠にありがとうございます。」
 会場内は爆音でゴキゲンなナンバーが流れてる。音楽が終わると拍手。それに対して「盛大な拍手をありがとうございます」と返ってくる。なんて素敵なショーなんだ!
 事前に渡されたメッセージカードと引き換えに、遺影に使われた写真のポストカードをもらう。その笑顔を見たら涙が溢れてきた。


 「ももも、もう一発いくかい!?」

 個人が持ち寄った花束やなんかはスタッフに預けることになってる。のちにスタッフから献花用の花を渡されるようだ。
 会場をぐるぐる列が進み、すれ違う人の中には泣いている人も。そんな人をみてもらい泣きしそうになる。

 「みなさま。大変長らくお待たせしたことをお詫び申し上げます。また、恐縮なお願いごとがございます。献花台の最前列での写真撮影はご遠慮下さい。それ以外でしたら構いません。よろしくお願い致します」
 そんなアナウンスが流れる。まるで、規制の緩いライヴ会場だ。僕も列を離れてウサギを撮ったりデッカイ看板を撮ったりした。2人3人で来ている人はそれらをバックに写真を撮り合っている。
 いいなぁ。撮りたい。撮って欲しい。僕と同年代のご夫婦とおぼしき人が撮り終わった所に声をかけて撮ってもらった。ありがとうございました。

 屋内に入る。足元には紙吹雪がいっぱいだ。先を見ると紅白の垂れ幕。その中央に遺影がある。みんなギリギリまで写真を撮っている。遺影を撮るのってどうなの!?と思ってた。でも、なんか遺影であって遺影でないような。パーティーのような。僕も撮りました。
 列が前に近づき、献花用の薔薇を持ったスタッフがいる。
 真紅、ピンク、オレンジ。僕はオレンジをもらった。もうすぐ最前列だ。あんなにこの場所へ来たかったのに、どうしようなんて思う。ドキドキしてきた。
 最前列だ。みんな静かに手をあわせている。花に囲まれでっかい笑顔の清志郎。位牌の後ろに函。ちっちゃい函だ。でも、それに収まりきらないものもみんな知ってるし、みんな貰っている。
 愛車のオレンジ号やギターがある。手をあわせて祈った。でも、言葉が浮かばない。もっとたくさんの色んなことを伝えたいのに、言葉にならない。すぐに目を開けてしまった。清志郎を見上げると感情が抑えられず叫んでいた。
 「清志郎ー!ありがとう!」
 僕の声に触発されたのか、みんなも呼びかける。泣いた。歩きながら、部屋の隅で泣いた。
 何度も振り返りながら部屋を出て、立ち止まりそうになると、「立ち止まらないようにお願いします」と言われながら、散らばっている紙吹雪を拾った。


 「すべてのみんなに感謝します!愛してまーす!」

 外にでるともう夜だ。へたり込んでる人や放心状態の人もいる。列は途切れることなく続いている。

 とても長く、アツい1日が終わろうとしている。
 こんな素敵なイベントに、ロックショーにこられて、哀しみもあるけど嬉しく思う。
 受付時間を延長し、親切な対応のスタッフ、何より一般者を受け付けるようにして下さった関係者、ご遺族の心配りに、心より感謝の気持ちを伝えたい。


 「どうもありがとう!愛してまーす!」

 今日、ここにきて何か変わったかと言えばよくわからない。より解らなくなったし、より偉大な人だというのが解った。
 そんななので、整理をつけるにはもう少し時間が必要な気がします。
 僕の部屋には、昨日から屈託のない笑顔をたたえた清志郎がいます。

 ピンクのフレームを買いに行こう。

忌野清志郎 青山ロックンロールショー

 「OH!イエーイ! OKチャボ!」

 前日から迷っていた。青山葬儀場である告別式に何時に行くかを。どうでもいいと言われそうだが、そんなことすら悩んでしまっている。
 それまでも、mixiのコミュで当日の服装で、ライヴに行くような私服、コスプレ派と、礼服派で論争があったり、会場へ徹夜で並ぶような意見、迷惑になるような行為を諭す意見と、ほんと様々だ。
 普段ならどうでもいいようなことを自分で決められない、これでいいよね!?と聴いてしまう。それほどみんな浮き足立っているのがよくわかる。
 当然だ。なんたって、忌野清志郎最後のロックンロールショーなんだから。

 休みなので始発からいける。しかし、ロックンロールショーとはいえ告別式。ライヴなら、逸る気持ちを抑えられずってのもわかる。しかしそうじゃない。誰もこのようなロックンロールショーは待ち望んでない。
 じゃあ、渡辺祐さんの番組でミニ追悼特集をJ-WAVEでやるので、それを聴いてから向かおう。並ぶかもしれないがそうしよう。
 
結論がでた。

 番組の追悼特集は、編集者の目、個人の目からみた清志郎を語りつつ、ライヴ音源のみで構成。そのせいか気持ちが高ぶる。


 「イエーって言えー!」

 最寄りの駅にお花屋さんが買えないので、乗り換えで降りる原宿で買うことに。
 原宿駅前って…花屋がない。ラフォーレとかに入ってんのかなぁ。うろちょろしたくないので速やかに交番で聴く。ここから一番近いとこらしいが少し歩くことに。

「薔薇下さい。ピンクの」
「プレゼントですか?」
「んー、献花です」

 もっと派手になるかと思ったが、あっさり見える。プレゼントっていえばよかったかなぁ。


 「オーライ オーライ!ベイベー!」

 この道をもう少し行くと、いつも頭の世話をしてもらってるお店がある。ここまできたから挨拶に向かうことにした。

「ども。こんにちは」
「あああ!正装して。行くんですか?」
「ええ。ロックンロールショーへ行きます」
「あ、それでヘリコプターが飛んでるんだ」
 話が早い。解ってくれてます。
「いやー、どうしてるかなぁって思ってたんです」
「僕は元気です。ってお店にメールしようとも思ったけど、なんか違うって思って」
「今日ね、13時1分(だったかな)に満月ですよ」
「知ってます!mixiの方でも満月や数字について色々書かれてて。こないだ4時4分に自宅から棺が出て。4が天使に関係あって、それが2つあるから意味も増幅されてとか。それで、その時にマンションに虹がかかったんですよ。しかもダブルレインボー!」
「そう!虹も意味があるんですよ」
「10年くらい前にだしたアルバムがレインボーカフェ。みんな、虹の向こうでお茶をのんでるとか歌ってるとか言ってます」
 尾崎豊、安井かずみ、坂井泉水、長さんの名前も出て、そばにいる旦那さんも「俺の誕生日が5月2日なんですよ。一生忘れない」と。
 困ったことに全然話がつきません。お客さんの予約の切れ間なのか、誰もいないのでいつまでも喋れてます。
 かなり名残惜しさを感じつつ、「じゃ、そろそろ行きます。また予約の連絡をします」と、お店を後にした。
 挨拶に行ってよかったぁ。


 「ガガガガガガガガ!」

 乃木坂の駅に着き、ホームを歩いてる人たちをみると、花束を持ってる人、黒っぽい服装の人がパラパラ。何人くらいが向かってるんかなぁと思い、改札を抜け階段を上がるとプラカードに"ファンの列"の文字と矢印。全員がそっちに曲がっていく。
 12時半頃だったと思う。すごい人の列。青山霊園の歩道が二列縦隊で埋まっている。
 最後尾は六本木へ向かうトンネルに列が伸び、折り返してる。それでもぼちぼち進んでるようなので安心したが、飲み物、食料を持たずに並んだのが、後々辛くなるとはこの時は知るよしもなかった。


 「あついぜ!ベイベー!」

 暑い。牛歩のようにも動かない。ビタッと止まった。道路を挟んだ向かい側の歩道も動いていない。
 mixiのカキコミを見ると、関係者の式が終わり[一般の式の準備が始まってるようだ][今、陸橋です。時間が1時間おしている。][根津美術館を折り返したが、この場所からは2時間はかかるようだ][すでに3万人いるらしい]
 そんなコメントを読みながら時間をみると13時半。17時に入れるといいなぁと、根津美術館も陸橋もどこか解らないのに希望的観測をする。
 喉が渇いた。列を離れて何か調達しようにもコンビニや販売機すらない。やれやれな気持ちで並び続け、まだ、木陰でじっとしていることに安堵した。
 これが噂の根津美術館かぁ。これが陸橋かぁ。って、ここ振りだしやん。陸橋をのぼるともう少しかなぁと、一瞬思ってしまった。そんなことはなく、ここが道のりの半分なのでは…気がゆるんでしまったあとは尚更しんどくて、アラフォーの腰にはこたえます。
 時間は5時くらいか。陽は傾きはじめ、風が冷たく感じられる。


   ***続きます***

2009年5月7日木曜日

美輪明宏 麗人だよりから

 お金は、猛毒にも薬にもなる両刃の剣です。お金があり過ぎるとむしろ不幸や不運を呼び込む力が強いもの。ですからお金は上手に使うもので使われてはいけません。
お金は自分の才能や努力、人間性、勤め人ならば勤務態度に応じて得られたりします。収入が少ないと感じるなら人一倍の努力が必要ですし、逆に、身分不相応の収入が入った場合はご用心!悲劇の元となります。
お金と上手に付き合う心がけは、「分相応」かどうかを常に意識すること。一升枡には、一升のお米しか入らないのですから。

2009年5月6日水曜日

暗い話に詳しくなっていく

 雨だったので仕事が休みになりました。
昨日の15時過ぎに決定したのが、ちょっと早すぎんちゃうのぉ?と思てたけど、結局一日中降り続くことになるとは。

 そんな、予定にない休みが訪れたので、雨の中隣町まで行くことに。お気に入りの傘も久しぶりの出番に喜んでることでしょう。

 この時期、商店街の福引きがあります。手元には五枚の補助券。あと一枚でガラガラが一回まわせるので、メシを食べたりネトカフェに行ったりして補助券を入手。
 抽選場所に並んでると、ガランガランガランと鐘が鳴り響いてる。おぉ。おめでとうございます。僕はどうかなぁ。
 何年ぶりだ?どれくらいの速さで回せばいいんかな、と逡巡してると番がきた。恐る恐るハンドルを回すと白玉がころん。すぐ出た。早くね!?
 ティッシュでした。


 地元に戻ってスーツの量販店へ。
 礼服を新調しました。アラフォーですからね。そろそろキチンとしたのを持っとかないと。

 冠婚葬祭の世界にも流行り廃りがあるようで。店員さん曰わく、シングルの2ツ釦が主流だと。ダブルブレストや3ツ釦は生産自体少ないそうだ。特に、夏場の見た目の印象が暑苦しいらしい。
 ふーん。印象ねー。
見た目や印象で言うなら、僕はかなり貧弱なので、ダブルを着るとスカスカ感がある。胸板やお腹まわりがたっぷりある人がダブルは似合うと思うんだ。
 モッズが好きってのもあるけど、胸元が詰まってるのが僕には似合うと思ってる。なので3ツ釦をチョイス。(ちなみに段返りではありません)
 まぁ、僕は逆らいなので、主流とは違うものが好みだからと言えるが(^_^;)


BGM ユニコーン 素晴らしい日々  忌野清志郎 激しい雨 雨の降る日

2009年5月5日火曜日

拝啓 忌野清志郎様

 初めてあなた宛てに手紙を書きます。
 こうして改めて想いを書き出そうとすると、なかなか筆が進まないのが可笑しく思えます。(実際はボタン操作ですが)

 あなたとの出逢い。記憶を手繰ると歌番組でしょうか。女性司会者がバンド名の由来を訪ねた映像がもっとも古い記憶と思います。
 あなたはその質問に対して「ある日作成しよう」と語呂合わせで名前をつけた。とおっしゃいましたね。それがいい加減な嘘と気づいたのは、かなり後のことです。かといって本当の意味は謎のままで、最近までちゃんとしたRCの意味を知るに至りませんでした。

 あなたの書く歌詞の深さ、美しさや可愛らしさ、言葉遊び。また、人間としてのパワー、生き様を僕に教えてくれたのは、当時の彼女でした。
 あの子の熱のいれようは凄まじいもので、雑誌にあなたの名前を見つけただけで買うほどでした。時期的にはソロアルバム『RAZOR SHARP』の頃でした。
 当時は光ディスクにコピーすることや、データとして持ち歩くなんてことは、ドラえもんのひみつ道具がないと出来ない夢のようなこと。
 曲順や時間を考え、レコードからカセットテープに編集録音したBESTをプレゼントするのが普通でした。
 例にもれず、僕にRCのBESTを作ってくれました。このテープ、今でも手元にあるんですが、とてもよく編集されていて、このままライヴのセットリストでもおかしくない選曲。

 少し脱線しました。

 そのテープがきっかけであなたの音楽に触れ、彼女と別れたあとも、今日まであなたの音楽は僕の傍にあります。
 そう想うと、彼女なくして今の僕はいないといえます。あなたの素晴らしさを教えてくれた彼女に感謝です。

 それからしばらくして、発禁問題、バンドの分裂、ソロと、あなたの激動の時期になりますが、僕もあなたとシンクロするように、出逢いと別れ、新生活をなど慌ただしく環境が変わったりと、なんだか節目節目にあなたの音楽があったように感じます。

 僕は直接ではないにしろ、あなたの歌、言葉から、学校では教えてくれないたくさんのことを教わったように思います。

 それは、モノを観る目だったり。

 それは、前向きな気持ちだったり。

 それは、直向きさだったり。

 それは、見て見ぬ振りはしない。言うべきことは言う態度だったり。

 それは、護るべきモノや人は、全力で護る姿勢だったり。

 それは、人を好きになることの素晴らしさだったり。

 それは、人を愛する尊さだったり。

 それは、人を赦す行為だったり。

 あなたは癌すらも赦していたのではないでしょうか。

 僕はあなたのような人間になりたいのかもしれません。
 僕の前を、何歩も先を行くあなたの背中を、知らず知らずのうちにお手本にして、同じ時間を生きてきたのかもしれません。
 しかし、あなたの時間は止まってしまいました。

 今は哀しみというより、喪失感や空虚感が大きく感じられます。そのためか、不思議と涙は出ません。

 僕の中で、まだ受け入れられないような、思い出にしたくない、過去にしたくない気持ちがあるからでしょうか。

 それとも、容れ物の肉体が好きだったのではなく、あなた自身の魂を好きだったからでしょうか。

 ひょっとしたら、あなたの魂は今も、これからもずっと生き続け、みんなの傍にいる。深いところでそう感じてるからでしょうか。

 もしかしたら、遅かれ早かれ僕もいずれ死ぬわけだし、あの世で逢える日がくると、わかってるからでしょうか。


 これから先、空を見上げてあなたを探してしまうことがあるかもしれませんが、その時は大目にみてやって下さい。

 最後に。

 サンキュー。サンキュー、エブリボデー。
 忌野清志郎を、みんなを、愛してまーす!

2009年5月3日日曜日

いい事ばかりはありゃしない

 一夜明け、何か変わったかと言えば変わったかもしれないし、な〜んも変わってない気もする。

 いろんなことが次から次に浮かんでは消えていく。
思い浮かぶスピードに、打ち込む手が追いつかない。

 今はこれしか書けません。


 清志朗、ありがとう。


 しかし、ほんまなんか!?全然実感わかへんわ。