2017年4月10日月曜日
忘備録
文藝春秋の全文掲載を読んだ。
面白い文体だが読みづらい。
大阪弁はビートだと思う。リズムやテンポではなくビート。中々ビートに乗れず頭に入って来なかった。まるでアクセルとブレーキを同時に踏んでるような…。
町田康も大阪弁だが、こちらは心地よい。何が違うんかと考えてるところに、田辺聖子の言葉が目に入る。「~大阪弁はきれいなもの、上品なもの。~大阪弁を忠実にすると紙面が汚くなることがありますから、ひらがなやカタカナの配置に~」と。
たしかに。大阪弁をまんま活字にすると句読点も難しい。付けすぎてもブレーキがかかりすぎ、無さすぎてもアクセルを踏みすぎる。紙面をぱっとみても、ひらがなのまるっこいのが延々と一文で続く。
句読点の緩急とひらがなカタカナの文字の緩急が、乳と卵には少なく思った。
ただ、中盤以降の3人が吐き出す言葉、思いの疾走感が素晴らしい。この辺が評価されたのかなぁ、なんて素人判断。
大阪弁も東と西、南と北でそれぞれの響きある。はんなりさもあれば、猥雑さもある。
乳と卵の大阪弁は、指先にトゲが刺さったようなイライラ感、取れたあとの安堵感がある。
2010年5月8日土曜日
『たまごボーロのように』 『忌野清志郎写真集』
小学生日記から大ファン。文体が大好きです。じつはブログを書くにあたってかなり参考にさせてもらってます!すーっと入ってくる。段落の取り方や句読点のバランスも気持ちいいんだろうなー自分的に。
もう一冊は忘れて行きそびれた『NAUGHTY BOY 忌野清志郎写真展 撮影/有賀幹夫』の図録ともいえる写真集。まだ開いてないですが、展示会場ではぐっと胸がつまってしまった。ハンカチとティッシュをそばに置かないと。あれから一年たったけどまだまだ複雑です(´ω`)
2009年11月25日水曜日
アニメR.O.Dを思い出した
また、コレクター気質のせいか手元に置いておきたい気持ちもあったりで、借りるよりは買ってしまう回路ができました。
ただ、今回のテキストといい何でもかんでも買える身分でもないし、何よりも絶版でプレミアがついてるものは手がでません(ちなみに今回借りた本のなかにも市場価格2万5千円のがあります)。
僕は借りて済ます『カリスマ』だった!というのを思い出しこの度図書館へ行ったのです。
今はカード一枚で全部自分がやるのね。借りたい本返す本をカウンターに持っていくなんてシステムはいつ崩壊したんでしょうか。おじさんはすっかり浦島状態です。
一番戸惑ったのが借りる手続き。机の指定された範囲内に本を乗せる、つまりバーコード読みとらせるように置くだけで書名と合計冊数が画面にでる。はやい。文庫なら一度に10冊は可能じゃないかしら。
しかし身長より高い本題に本が詰まってる風景は気持ちいいです。静寂のなか捜し出す感じもトレジャーハントっぽくて好きです。
おもしろいね、図書館。癖になるわ。
2009年8月25日火曜日
雪むすめ 立原えりか童話集
ケースから出すとハトロン紙にくるまれた本。ハードカバー。どれどれと読み出すと句読点が多い。だが童話。子どもに読み聞かせするにはこれくらいの区切りがあったほうがいいリズムなんだと理解した。
とてもきれいな色合いを放つ言葉たち。透明水彩のようです。表題作の雪むすめには感動しました。なので全編読み終える前に文字を打ち込んでます。
小川未明、金子みすゞも好きですが、圧倒的に違う。なんだろ。
童話作家って単なる寓話ではない、冷徹な眼で観ているからこそ不変なんだと思うんだけど、今読んだ中には単に美しい、きれいだけではない、やりきれない哀しさにも目を向けているってところが違うかなぁ。刹那と永遠が共存というか表裏というか。
うまく言えないです(∋_∈)
当たり前のように思うのが『なんでもっと早くに読まなかったんだろ』ってこと。まぁ、今がその『時期』ってことなのかもしれませんが。
2009年7月15日水曜日
芥川賞 直木賞
かなり失礼ですね。読んでみますから許して下さいな。←誰に謝るのか
選者の感覚が古いのかと思うよ。まるで横審みたいに。読み比べてみますから許して下さいな。←だから誰に
2009年7月5日日曜日
2009年6月7日日曜日
不思議の国のアリス ルイス・キャロル 金子國義 訳 挿絵
確かに児童書では難しいなぁ。かといって僕の棚でもなぁ。興味はあったがちょっとしんどかった(売りにくい)ので断った。
個人的に買う余裕もなくそれっきりだったが、ふと、思い出してヤフオクでサーチ。無事落札できました。
恥ずかしながらアリスは読んだことがない。記念すべきアリスデヴューが金子國義の訳&絵って、なんか複雑。いえ、これは自慢しましょう。
女心と秋の空。猫の目のように変わる。女の子の心を表すこの言葉通り、アリスの表情もコロコロ変わるし、おてんばだなー、アリス。
金子國義の絵も手伝って、かなり小悪魔な印象と、ツンデレなイメージを持ってしまった。こんな調子でフルーツの盛り合わせとかおねだりされるんだろか。でもアリスなら許しますよ。
原文も他の訳も知らないし。けど、この和訳はよく出来てると思う。言葉遊びが面白い。読み比べてみっかなぁ。
第二弾として鏡の国のアリスがあるんだろうか。(画面を切り替えて検索)あ!文庫になってる。てことはこの大きさで出版されたのかも。
たった今、新たな物欲のスイッチが入りました。
2009年5月24日日曜日
納棺夫日記 青木新門
「おくりびと」は観ていない。ドキュメンタリーではないから、綺麗に撮られているんだろう。
この本、前半は仕事を通しての想い。後半は親鸞を引用しつつの死生観。なので前半に絞る。
助産婦さんはメディアに取り上げられても、納棺をする人は忌み嫌われるんだなぁ。どちらも命に携わる仕事なのに。
そんな日陰者の印象をより強くするかのように、曇天で寒く、雪景色が多い。
大きく印象に残ったのが3つある。
一人暮らしの老人の孤独死で、死後何ヶ月も発見されず、死体にたかる蛆をみて、蛆も精一杯生きていると悟ったこと。
昔は細く黒く、枯れ枝のように死んでいったのが、最近は白くムチムチしているというくだり。
死に場所が、自宅ではなく病院になったということ。
うまくは言えないが、10年後読み返すと、また違った印象があるんだろうと感じる。
自宅の、自室の天井を見ながら、家族に看取られながら僕は死にたいなぁと想った。
***
この世に生を受けたモノは遅かれ早かれ必ず死ぬ。80で逝く人もいれば、生後1ヶ月で逝く人。哀しい、赦しがたい事件や事故で逝ってしまう人もいる。それが遅いのか早いのか、突然なのかは解らない。
例えば。東京から大阪までという目的地があるにせよ、交通手段は様々。新幹線を利用する人もいれば、自転車で向かう人。アメリカ大陸からユーラシア大陸、そして本州へ渡り向かう人もいるかもしれない。速い人もいりゃゆっくりの人がいるように。
みんな等しく何かしらのメッセんジャーとして生まれてきてるんだと想う。
遺されたものを、ワンランク上の人間にするための試練のような、そんなメッセージもあるのではないか。メッセージを伝えおえたら現世での役目は終わり、あの世で魂の修行を続ける。そんな話を以前、髪を切られながらサロンで聴いたり話したりした。
いつ死ぬか解らない。だからこそ一日一日を大切に、精一杯悔いのないように生きたい。
危機感ではないが、人生80年として折り返し地点を過ぎた今。今さらながら強く想った瞬間だった。
2009年5月17日日曜日
失わはれる物語 乙一
大阪の紀伊國屋書店で購入。
ペンネーム、中田永一がスタンドだとすれば、こちらが本体。(リスペクト・ジョジョの奇妙な冒険)
短編集。よくよくこの人の略歴をみると、ジャンプノベル出身だとか。
んー。それで「百瀬」の評価で、こういう作品も書けるんだ。っていう意見があるのが合点がいった。
これに収録されてるのも、角川スニーカーが初出なので、どれもラノベになるだろう。
差別するわけではないが、純文学とはいえない所が多々あると感じる。キャラデで作品の半分以上の魅力を占めたり、また行間とかね。
そんな(勝手な)印象通りの作品が並ぶ中で、表題作の「失はれる物語」は感動。
僕は音楽が好き。いつ頃からか、歌でもメロディーでもなく、グルーヴを感じるようにしている。 どんな音楽にもそれはあると思うんだが、クラシックを表現する言葉には「色彩」がよく登場する。
今まで幾度となくクラシックにチャレンジしてきたが、グルーヴや色彩を感じるに至っていない。
この作品を読んで、ひょっとしたら余計な感覚が邪魔をしているのでは…なんて思ったりした。
目で見えるもの、耳で聴こえるものが全てじゃないって思ってはいるんだけどねー。
結末。僕ならどうするかなぁ。
2009年2月2日月曜日
百瀬、こっちを向いて。
四編のどれもキラキラ輝いている。それは奇跡ともいえる様々な偶然がかさなりあってきらめくダイアモンドダストのように。青春と呼べるものがそんな輝きをはなっているようにも感じる。
この話は出来過ぎだという人もいるようだ。読了後、出来過ぎかもしれんけどこれくらいストレートな恋する気持ち、愛する気持ちの 何が悪いの?と思う。
最近の純愛小説といわれるものは人が死んだりしすぎのように感じる。そのギャップで気持ちを表そうとするのが姑息とも思う。
だいたいが人を好きになる、好きと感じる、好きなことに気づくのが裏表のない直球な感情だと思うし。
表題作よりも巻末の小梅が通るが評判と知りながら読み始めるも、一編目から心をつかまれた僕はこれ以上の感動があるのか!?どんなだ!?という気持ちでページをめくっていった。
どれも切り口は違うが人を好きになる過程や恋から愛に変わる描写が自然でぐいぐい引き込まれ涙があふれた。
ただ表現される愛の形は男女だけでなく周りをとりまく友愛もあり、それにささえられてるのがここちよかった。
***
噂によると覆面作家らしい。乙一らしい。今度こっちの名前の本を読んでみようと思う。
2009年1月23日金曜日
路上にて
月に2回、1日と15日に発売される雑誌。とはいっても書店では売っていないので知らない人はかなり多いと思う。
ではどのように出回ってるのかというと街頭での手売り。ただし販売出来る人はホームレスに限られる。
これはホームレスを自立、支援するための雑誌。もとはイギリスの雑誌。売れると本体価格300円のうち、160円が販売者個人の収入になる。その収入で社会復帰を目指す。
4口5年前、ワールド・ビジネス・サテライトというニュース番組(僕はこの番組と故筑紫哲也氏の多事争論しか"ニュース"と言えないと思う)で知る。
当時、友達が新宿で働いていたので早速、
『新宿の西出口あたりでホームレスが売ってる本を買って欲しいんやけど。どの号でもいい。』
と頼んだ。
以来、自分も新宿に行って販売者が目にとまればちょくちょく買ってた。
さて。この号は新宿で購入したのではない。となり町の駅前だ。最近は新宿にも足が遠のいていたので、この雑誌も忘れかけていた。そんな時に出会えた。ただ、久しぶりに買えた喜びよりも、この街に住んでから目につかなかった、いや、隣町とはいえ地元にホームレスはいないと思ってたので、え!?マジで!?と驚いた気持ちが強かった。
不景気、ネットカフェ難民、日雇い派遣や就職氷河期なんて言葉が浮かぶ。夕方のニュースとは名ばかりの、演出された番組が取り上げるだけじゃなく現実にあるんや。こんなベッドタウンまでその波が来てる。対岸の火事ではない。自分も怪我や病気がキッカケで何時そうなるか…といった危機感を改めて感じた。
改めてというのは、僕も生活保護を申請したいと市役所へ行ったことがある。しかし、終始、親や兄弟に相談してもらえないかという対応。身内に相談出来ないからここに来たんだが、と言っても進展しない。話を聴く姿勢はとっているが門前払いしたい態度がみえてる。あの時期は家賃も払えず経済的にも肉体的にも精神的にも困窮していた。そんな、一歩間違えばホームレスになっていたかもしれない自分がいた。
今回出逢った販売者は若かった。35口45歳だろうか。少し訛りがあるからどこからかここにたどり着いたのだろうか。
ただ、ホームレス全員がこの雑誌で生計をたててるわけではない。やはり人との付き合いが苦手だったり、恥ずかしさ、負けてしまったなんとも言えない後ろめたさなんかもあるだろう。でも、資源ゴミや燃えないゴミの日に空き缶などを集めて生計をたててる人よりは、街頭に立って積極的にモノを売ろうとする人からは買いたい。自身が売った本の利益で社会復帰を目指す。前向きさ、自立心、現状を打破したい気持ちを持ってる人は好きだから。自分もつらい時期があったからこそ応援したい。











