2009年5月28日木曜日

あの日あの時あの場所で

 勝手に読者になってるブログにこんなことが書いてありました。


ドイツでは音楽教育は早く技術を習得するよりも楽しむことを重点に置く先生が多いように思う。

そのためか、正当派のクラシック音楽レッスンを受ける子は割に少なく、特にピアノでは最初からポピュラー音楽を取り入れることが多い。まあ、これは日本も最近はそうなのかな?

 中略

小さい頃クラシックで音楽を始めた子どもには、そのままずっとクラシックで進んで音大に行くような子も入れば、成長の過程で別の形に出会ってそちらの方向に進む子もいるだろう。嫌々習っていたのでそのうちやめてしまって、音楽とは全くの無縁になるという子も中にはいるかもしれないけれど、私の想像ではそれは少数で、自分で演奏をしなかったとしてもなんらかのかたちで音楽と係っていくのではないかと思う。

 後略


 これはほとんどの人にいえることではないだろうか。

 僕自身も紆余曲折しながら(現在進行形だが)いろんな局面で、あの時のあの事が今役立ってると思ったことが多々る。

 んー、結局のところスッパリと自分に踏ん切りと言うか、決別が出来ていないため、時間や場所を超えて引き寄せるんじゃないだろうか。

 ちょっと後ろ向きかもしれないけど、そんな場面に出くわすとこんな風に言われてるように感じる。

 「おい、あの時投げっぱなしにしていることに未練はないのか!?おざなりに生きてないか!?」

 いててて。耳が痛い。

 そのブログに、このアドレスが貼ってあったので飛んでみた。
 中学の頃の件を読んで、清志郎と先生の関係みたいだなぁと思った。


http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/sera/sera01/


 20年前に想像していた自分とは、かなりかけ離れた場所にいる。これからも僕の人生にアニメはついてまわるんだろうか。←こんなことを思ってる時点で引き寄せるわなー(^。^;)

1 件のコメント:

  1. クラシックは音楽の原点、でも退屈なのよね。レッスンは教本だから基礎を学ぶわけで、さらに退屈。
    私のピアノの先生は好きな曲をやらせてくれる、だから続いているんだと思います。これが与えられた曲ばかりじゃやめてるわなぁ・・
    今は技術が伴わないと弾きたいものが弾けないとわかったから退屈でも教本はやってます。小さい子が嫌にならずピアノを続けるには好きな曲をやらせる!それが一番です。

    昔、思い描いていた自分はなんだったかな?

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