2017年4月10日月曜日

忘備録

2008年にmixiへ書いたのが埋もれてしまうのもなんなので、コピペでこちらに転載。

文藝春秋の全文掲載を読んだ。
面白い文体だが読みづらい。
大阪弁はビートだと思う。リズムやテンポではなくビート。中々ビートに乗れず頭に入って来なかった。まるでアクセルとブレーキを同時に踏んでるような…。
町田康も大阪弁だが、こちらは心地よい。何が違うんかと考えてるところに、田辺聖子の言葉が目に入る。「~大阪弁はきれいなもの、上品なもの。~大阪弁を忠実にすると紙面が汚くなることがありますから、ひらがなやカタカナの配置に~」と。
たしかに。大阪弁をまんま活字にすると句読点も難しい。付けすぎてもブレーキがかかりすぎ、無さすぎてもアクセルを踏みすぎる。紙面をぱっとみても、ひらがなのまるっこいのが延々と一文で続く。
句読点の緩急とひらがなカタカナの文字の緩急が、乳と卵には少なく思った。
ただ、中盤以降の3人が吐き出す言葉、思いの疾走感が素晴らしい。この辺が評価されたのかなぁ、なんて素人判断。

大阪弁も東と西、南と北でそれぞれの響きある。はんなりさもあれば、猥雑さもある。
乳と卵の大阪弁は、指先にトゲが刺さったようなイライラ感、取れたあとの安堵感がある。

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