2011年3月29日火曜日

実は

 地元の水を供給している浄水場で放射性物質が検出されたというニュースが流れたあと、水が入荷していたコンビニへ走り2Lを2本買った。家に戻って落ち着いてきたら「おれ何やってんねやろ」と。
ツイッターでも「おとなは関係ない」「子ども優先」というつぶやきがたくさんTLに流れる。すでに買ってしもた。
 「あほやな自分」
 水が心にずっしりきた。

 次の日だったか、フォロワーさんのつぶやきにドキッとした。
 コピペ→「かろうじて手に入れた水を赤ちゃんのいる親友の元へ…大人が赤ちゃんの未来買い占めるッて、どうゆうこと?」
 僕は今、保育士の資格を目指している。そんな僕がですよ、我が身のためだけに水を買ったのです。まっさきに子どもの未来を護らねばならない保育者になろうとしている人間がですよ。情けない。

 あのつぶやきを見て、これは子どもたちに届けねば、と想った。あの日から時間は経ってしまったけど、こないだ買った2本と、地震当日に買った分を合わせた3本を、今日、仕事が終わって帰宅後に1本ずつ3カ所の近所の保育園に渡してきた。どちらも心よく受けとって下さった。

 自分のなかでの罪滅ぼしのような気持ちで渡してきたが、これらの行為は自分が落ち着いていればしなかったこと。
気持ちは軽くなったけど、この想いは忘れない。園長先生や保育者さんは僕の想いを知らない。それがまた申し訳ない。
 絶対こんなことしたらあかん。しっかり勉強する。(もぐさんありがとう。僕はあなたのツイートで気づくことができました)

2011年3月24日木曜日

あふれる熱い涙

いま、糸井重里さんからRTでまわってきた。

Prayers from kibara for Japan ~祈り~ キベラから日本へ



 ありがとう。

2011年3月15日火曜日

鼻から吸い、その倍の時間かけて口から吐き出す

 被災地、被災した人が親類縁者にいる人以外は落ち着く。

 備蓄と言う名の買占めはやめる。

 コンビニは年配の方、障害者にゆずる。

 いつ明かりが点くかわかってるんだから計画停電に文句言わない。実施しなかった場合も努力が報われたんだから喜ぶ。

 働ける人は働く。お金を使える人は世の中にお金を回す。経済を動かす。

 嘘もホントも情報が手に入る人は、しっかり取捨選択する。

 身の丈にあったことをする。


 原子力や噴火や、こまかいとこでは石原慎太郎氏の天罰発言もあるけど、今やれることをやる。これだけでずいぶんゆったりすると想う。

 肩の力を抜いて、深呼吸しようよ。

2011年3月3日木曜日

さっぶい1日やった

 今日のお昼、とどこうりなく火葬されたそうです。

 お棺にも好きだったものをたくさん入れてもらえたり、ずっと両親とともに最期の最後まで側にいてくれた人もいて、さみしいお見送りにはならなかったようです。その人は斎場までの送り向かいもしてくださり、ほんとお世話になりました。

 体がかたぁくならなかったって言ってた。目も半眼で素敵な死に顔だったそうです。

 今日の様子を電話で聞くだけでもさみしいお見送りにはならなかったのが、なんやこっちもうれしくなるくらい。有難い。

 おかんもおとんもサンボがいてくれてホンマよかったってゆってるよ。癒されたってさ。僕もおんなじ気持ちやよ。

 今日送り向かいしてくれはった人もありがとう。おとんもおかんもありがとう。みんなありがとう。
 サンボ、素敵な時間をありがとう。

2011年3月2日水曜日

命

 さっき、サンボ(飼い猫)が死んだと実家から電話があった。

 そうかぁ、という感じだった。

 西宮の苦楽園で暮らしてたころ、道端にいたのを見つけたのが出逢いだった。
 僕は以前も猫を飼っていたから世話の大変さ、何より命、かわいいだけじゃない、責任をもてるのか、亡くした喪失感も大きいから飼うのはやめようと言ったんだけど、「飼いたい!」って聞かないもんだから、ペット禁止のマンションに連れて帰った。
 それからおよそ4年の間に、僕らも引っ越したり別れたり。
 東京へ行こうと決心したはいいけど、仕事はアニメーター。生活の貧しさと不規則さはすでに経験済み。実家で面倒をみてもらうように頼んだ。

 上京してから初めて帰郷したときに母親が言った。
 「サンボなぁ、あんたが帰ってくるの玄関で待ってやんねん。もう帰ってけぇへんよっていうてもじーっと待ってやんねん」
 「寝るときもなぁ、あんたの匂いがするんか、置いていったコートの上で寝てんのよ」

 僕はひどいことをした。自分たちの都合で外には出さないようにし、去勢もした。あの子に最初に言った責任も放棄してしまった。
 
 サンボは僕の顔を見て逃げるようになっていた。でも、これでいいと想った。年に1回の帰郷で2~3日しか触れ合わない。こんな勝手な人間は早く忘れてもらったほうがいいと。そうしてくれるほうが僕のほうも心が軽くなると想った。
 だからこっちからはなるべく触らないようにした。だって優しくして思い出されたりしたら、また裏切るようになってしまうから。

 2年前に犬歯が1本抜けた。去年は階段から落ちた。そのときに脚をひねったのか、前足が少し曲がったままだ。12月頃からおなかの辺りの毛が抜け、床ずれのように皮膚が切れて出血、全身麻酔をすると目を覚まさなくなる危険があるから縫合はせず、腹巻をしていた。

 電話で母親が「2月にあんたと会えてよかったわ」と言ったのを聞いて、あぁ、トイレの神様の唄みたいやなぁ、待っててくれたんかなぁ、と、これまた都合のいいことを想ってしまった。

 「ここ2,3日ごはんも食べれんようになって、点滴うけてたんよ。それで今日も受けにいく日ぃやから様子見にいったら…。それが7時半くらいやけど、たぶん明け方ちゃうかなぁ」
 「あのさ、今朝方の夢に猫が出てきたんよ。おなかになんか乗ってる感じもして。色が白か黒かはっきりせぇへんかってんけど、白やったらミミやなぁ。黒やったらサンボかなぁ。でも電話ないからミミかなぁって思ててん」
 「あんたも仕事やからな、朝はやめようおもて。晩に電話しようっておもてん。サンボ、あんたに会いにいったんやわ」

 実家で暮らして16年。僕と関わった時間は4年くらい。
 知らない間に僕の年齢を追い越し、両親までも追い抜いて、家族で一番の高齢になっていた。人間に換算すると98歳くらいらしい。大往生だね。
 目もしっかりしてたし、おむつもつけず、自分の脚でトイレにもいっていた。かがんでごはんを食べたりするのがしんどいのか、手のひらから水を飲んでいた。

 うまくまとまらないのでこの辺で。

 ごはんをねだるとき、すねに頭やからだを押し付ける感触、ヘアゴムが大好きで、しがんだり追いかけたりしてた姿は忘れられない。

 あしたお葬式だと言ってた。いい写真もあるそうだ。
 僕のかわりにお世話をしてくれた両親にありがとう。サンボありがとう。ごめんね。

2011年2月19日土曜日

恋のレッスンはABCですが

 ドレミのレッスンにいってきましたぁ。
いくつになっても初めてのことは緊張するねー。

 バイエルは10番まで進んだ。
じつは先週からNHKテキストを買って、課題曲のショパンを少しやっていた。それがよかったのかも。指が動いてくれたから。先生は「え!ショパン!?いきなり!?」って驚いてはった。テキストの課題曲やからなぁ。 でもね、それこそバイエルのような反復練習みたいな曲や子どもの歌ではないのが良いと想うのです。
メロディもきれいだから「ピアノを弾いてる」っていう気持ちが有能感を呼ぶんじゃないかなぁ。

 「じゃあ、そのテキストで練習してるとこを弾いてみて」って言われたのが緊張に拍車をかけたわー。最初の音がわからんようになった。
自宅やったらもうちょっとなめらかに弾けてるのに、すんごいつっかえてもた。でも褒めてくれました。

 で、落語でいえば「まくら」がおわった。
先生は学校指定のテキストを見て「これはあんまり良くない」と。理由をたずねたら「右手と左手の楽譜が両方ト音記号で書かれてるから」とのこと。ふむ、これは納得。しかも、今までテキストを見てなかったので僕も驚いた。NHKテキストはもちろんト音記号とヘ音記号で書かれてる 。
 実際、両方ト音記号の楽譜なんてないし、特に子どもは最初にこれをインプットしてしまうと途中で戸惑ってしまうんだって。いやいや、おとなでも戸惑いますよ。僕も戸惑ったもん。

 僕はもうちょと厳しいレッスンなんかなぁっておもてた。つっかえたらはじめから。なめらかに弾けるまで繰り返すのかと。まぁ、幼児が世界を目指すはじめの一歩ではなく、いわば学校の試験をパスするだけの技量を獲得するのが目的やから、ずんずん進めてるんやろなぁというのも察しがつく。

 それでも帰り支度のとき「うまく弾けてますよ。さきゆき明るいです」とおっしゃってくれたのが何よりの言葉やった。僕はほめられておだてられて伸びる子なんですよ。うれしかったし安心したぁ。

 レッスン初日。お互いがお互いを何も知らないところからいきなり練習を始めてるので、会話の呼吸、一言に含まれている意味をさぐりながら言葉を交わした。僕も説明下手なところがでてしまい、端的に話せなかったりしたのが恥ずかしかったなぁ 。

 僕も先生のことを知りたいし、先生にも僕のことを知ってもらったほうが、これから進めやすいだろうから「なんでも聴いてください」って言ったし、ひとつ聴かれたことに対して、僕は三つも四つも答えた。
誰々のクラシックのCDを買ったとか、その音楽家の印象とかを伝えた。
モーツァルトはにぎやかで楽しい、ベートーヴェンはドラマティック、ショパンはセオリー通りで上品に感じるとか言ったら、ニコニコしながら「あ、わかってるわね」と相づちを打ってくれてた。

 レッスン時間は1時間ちょい。2時間やるかと思ってたから「えっもう終わり⁉」って感じだった。というか2時間はやりたかったなー。

 今度は先生のこといっぱい聴いてみよう。ピアノを始めたきっかけとか。

 来週のレッスンが楽しみ(・∀・)いっぱい練習しよ

2011年2月9日水曜日

ゆとりは大事

 24時間の弾丸帰郷をきめてきました。

 実家への滞在時間はおよそ12時間。移動時間はおよそ8時間。残りの時間で兄家族や友達と飯ったり。
んで、その兄家族には子ども、娘さんたちがいる。それぞれ大学や高校の卒業目前の。きちんと顔をあわすのは今回が初めて。しかも、兄に弟がいるという情報も最近得たようで、そんな間柄の対面となった。
 なんでこんな風になったかは、まぁ、様々なタイミングというか。あ、それは嘘ですね。単に僕が家族のつながりを大切にしてこなかったのが原因です。兄の病気がきっかけというのもなんだか皮肉なんですが、おととし去年ときて、今年ようやく糸が結ばれた気がした。来年からはちゃんと姪たちにも会わねば、と決意。とゆーか、こんなこと決意すんなって。

 親もいつものようにいつもの場所にいて、元気でなにより。
 猫がねぇ、調子悪いなぁ。病院には行ってる。手術すりゃ早いんだろうけど、全身麻酔するとそのまま永眠になる危険もあるとかで。それでもぼちぼち良くなってきている。人間にすると98歳。んー、でもまだまだ生きてほしいなぁ。いなくなるなんて考えられん。

 友達と会う場所が母校とほど近いので、会う前に母校や中の島公園のあたりを散歩した。
何年も前に立派な近代建築物となった母校。当時はタイル貼りの二階建ての校舎と離れの事務所。立派になりました。昼休みに公園でよく野球したなぁとか、あの時の想いでが走馬灯のようにぐるんぐるん。


 写真は中央公会堂。ここも想い出深い。写真実習や水彩のデッサンでもモチーフにした。内装も大正ロマンで素晴らしく、安くて美味しい食堂もあるし、図書館もいい。何より印象に残ってるのはゲルニカのLIVEがあったこだなぁ。ほんと素敵な時間だった。

 人とのつながり、縁は断とうと想えば簡単にできる。いったん切れたらなかなか繋がらない。磁石みたいなもんで、勝手に引っついたり離れたりするもんだとは想ってる。会えないときは何やっても会えないし。でも、だからといって関係を大切にしないというのは別。

 僕は昔から群れるのが苦手。一人での判断は大事だが、それに至る過程には様々な人の力が関わってできていると感じる。なんでも一人の力でやってきた、なんて想いは間違いも甚だしい。と想う。人生の節目節目には人の援助がある。感じてない人は見えていないだけ。世の中、一人じゃ生きていけないよ。

 この一年は特にしっかりします。あ、こんなあわただしい帰郷はもうしません。